ゆうた

オールド・ボーイのゆうたのレビュー・感想・評価

オールド・ボーイ(2013年製作の映画)
2.0
韓国版未見、原作漫画読了という、よくわからん状態で鑑賞。
うーむ…微妙。

実は原作漫画の魅力って「謎の理由で監禁されていた男/謎の理由で男を監禁していた男」という点にある、のではないと思う。
むしろ、ぶっちゃけ原作漫画はかなり雰囲気系というか、主人公のハードボイルドな立ち振る舞いだったり、バブル期新宿の不夜城感であったり、敵との奇妙な友情あるいはホモセクシャルにも近い関係であったりといった、プロット以外のおもしろさが重要な部分を占めていて、「男はなぜ10年間も監禁されていたのか」という最大のワイダニットは最初のフックとしてしか機能していないし、最終的な監禁理由やオチも「なんじゃそりゃ!?」って感じだ。

翻ってこの映画の話に戻るが、前述した(少なくとも私が漫画版の魅力だと思っていた)雰囲気がことごとく削ぎ落とされている。
まず、そもそも主人公はめちゃくちゃ嫌なやつになっていて、こいつには監禁される心当たりがありすぎる。大酒飲みの酔っぱらいで、女には無礼な態度取って、元妻には冷たく接して…って、これじゃあただの生活破綻者だろ。
「目立たないように粛々と生きてきたのに、いつのまにこんな恨みを買ったんだ?」というのが原作漫画の良さなのに、いきなりそこを踏み外してるじゃん。
原作漫画のオチは「なんじゃそりゃ!?」って感じと書いたが、そうは言っても、価値観と価値観の対決という要素は十分に魅力的だった。
「おまえのような人間が存在しているとおれの存在が否定される、だからおまえの人間性を破壊する!」というのは、かなり非現実的ではあるものの、悪役の精神的な歪みを反映しているし、非現実的な理由であるが故に10年間の監禁という非現実的な手段に至ることにもある種の納得があった。
でもこの映画の場合、そもそもの出発点が割とありがちというか、要は人の悪口言ってたらそいつの知り合いに恨まれましたということなので、原因と結果の辻褄が合わないと思う。
ある種正当な恨みというか、手段はともかくおまえが怒るのも無理はないと無駄に敵役に同情してしまう。

「娘のために脱出するぞ!」ってのもなんだかなぁって感じだ。もちろんここは本作の重要なポイントであり、改変したいちおうの意味はあるとは思うが、あくまで自分のために自分を律して生きるという主人公から、娘のためにと理由を変えたことで、ハードボイルドな要素はなくなってしまった。
この改変は敵役との関係性にも影響していて、原作漫画では、「敵を殺そうと思えば殺せる、しかし殺したら永遠に監禁された理由がわからない」というジレンマが生じていて、それがゆえに両者の間に小康状態と緊張関係が生み出されていた。事情を知らない友人のバーでともに酒を飲んでも、腹の底ではまったく打ち解けてない、しかし、真にお互いを理解し、あるいは理解しようとしているのは、この世界に二人だけなのだという奇妙な関係性だ。
これが本作だと、娘が人質に取られているから云々という具合にすり替わってしまっていて、敵役と友情を育む要素がなくなっている。殺したら娘に会えないし、そもそも物理的にボディガードが強いから殺せねえしという風に、普通によくある誘拐犯と被害者の関係でしかない。おまけに敵役の側からタイムリミットを指定したせいで、関係を作る時間的な余裕もなくなってる。
こうして原作の雰囲気要素を捨象した結果残るのは、「20年間監禁された男」というフックの部分と、「人はテレビで見たものを信じる」という最後になって思い出したように繰り出されるメディア論のみで、そこにアクション要素が加味されたのが本作だ。
しかし前述したように「監禁された男」はあくまでフックでしかなく最終的なオチはあまりに弱いので、謎が明かされるとやっぱり「なんじゃそりゃ!?」となる。
サスペンス映画なんてそんなもんじゃん、途中までおもしろければいいじゃんという考えもあるにはあるが、この映画の場合、途中までおもしろいのはストーリーやプロットではなく、スタイリッシュなアクションのおかげなので、サスペンス映画としてもイマイチだ。

かろうじてオチは工夫してあって良かったと思うけど、オチにたどり着いた時点でだいぶ興味をなくしてたので、「へーなるほど」という感じでした。
いくら財力あったとしても、人ひとりの過去を完全に葬ることって可能なのかね?
ましてネットもスマホもある現代で。
ゆうた

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