あしたか

インサイド・ヘッドのあしたかのレビュー・感想・評価

インサイド・ヘッド(2015年製作の映画)
4.7
[あらすじ]
11才の少女ライリーの頭の中の“5つの感情たち”─ヨロコビ、イカリ、ムカムカ、ビビリ、そしてカナシミ。遠い街への引っ越しをきっかけに不安定になったライリーの心の中で、ヨロコビとカナシミは迷子になってしまう。ライリーはこのまま感情を失い、心が壊れてしまうのか? 驚きに満ちた“頭の中の世界”で繰り広げられる、感動の冒険ファンタジー(primeビデオより)


トイストーリー3並みの(ひょっとしたらそれ以上の)感動。まさかこんな傑作とは。

表向きは頭の中でのアドベンチャーをやりながら、その裏で「悲しみという感情は何の為にあるのか?」「大人になるとはどういうことか?」という深甚たる質問に答えている。
これらがわかるシーンは号泣しながら見る他なかった。
大人になってから見ても大切な気付きを与えてくれるピクサー作品にはもはや頭が上がらない。


映像面から見ると、頭の中の描写が夢に溢れており楽しい。様々な世界での冒険を描いてきたピクサーだが、まさか人間の頭の中ですらこんな風に創造性に溢れた世界にしてしまうとは。
感情を代表するキャラクターをはじめ、自分の頭の中があんな風になっているかもしれないと思うと、自分の感情や記憶というものに愛着が湧き、大切にしたいと思ってしまう。言ってしまえば自分のことが好きになりそうだ。まんまとピクサーの掌の上で踊らされている。

ストーリーの面から見ると、ライリーが昔大切にしていたキャラクター・ビンボンが実に印象的だ。
彼(?)はライリーの幼い頃こそ相棒のように彼女と遊んでいた架空の存在だが、ライリーが11歳になった今ではもうほとんど見向きもされない寂しい存在になっている。
しかし、それをただの"悲しいお別れ"で終わらせないところにピクサーの脚本の凄みがあると感じた。
幼い頃の思い出は確かに時が経つにつれどんどん薄れていき、物によっては完全に消え失せてしまうだろう。しかし、消えたのは不必要だったからではない。ビンボンだってライリーの大切な友人であることは間違いないし、確かに彼女の糧として軌跡を刻んでいる。
人間のキャパには限界があり、新しい経験をするために昔の思い出とはサヨナラをしなければならない時が必ず来る。それこそが"大人になる"ないし"成長する"ということ。それを気付かせてくれることにこの映画の大きな価値があると思う。
それを象徴するビンボンのあのシーンは号泣必至だ。ビンボンがライリーのことを思ってあの選択をしたのは間違いないゆえに、泣ける。

またカナシミというキャラクター(感情)が存在する理由についても、かなりの説得力を持って描写されていた。
人間なら、その時は辛くても後から見たら笑い話になるとか、辛い思い出があるからこそ後の幸せな思い出がより際立つということが往々にしてある。それによって他人との絆がより強固なものになったりもする。人間には喜怒哀楽・悲喜交々、あらゆる感情が必要で、それが我々を人間たらしめるということを、この映画は教えてくれた。

非常に含蓄に富む作品。子供が見たら視覚的に楽しいし、大人が見てもドラマティックな物語に泣かされる。そんな良作に仕上がっていると思う。
あしたか

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