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インサイド・ヘッドのdetoxのネタバレレビュー・内容・結末

インサイド・ヘッド(2015年製作の映画)
4.7

このレビューはネタバレを含みます

この物語の進め方はかぐや姫の物語と一緒だ。すなわち、幼少時代には何もかもが新鮮で、ただシンプルなよろこびとしあわせがある。しかし、体は大きくなり、環境はやがて変わらざるをえず、もとの場所にはもう二度と戻れない。

たけのこもライリーも、その変化に耐えられず心を壊してしまう。視点や着地点は異なるが、両者は同じような(普遍的な)少女、あるいは子どもの姿を描いていると思う。

こういった物語では、はじまりである無条件によろこびで満たされる日々というのは、うまく描かれれば描かれるほど、心を打つ力がある。のちに訪れる喪失の強さを想起させるからだ。

かぐや姫の物語では、まだ何も知らない幼いたけのこが自然を楽しむ姿がこれ以上ないくらいによく描写できていた。そして楽しい日々は長く続かない。

この映画でも幼いライリーはミネソタで毎日をとても楽しくすごし、それは儚くもすぐ終わる。なぜならタイトルが出るまでの5分で終わるのだ。

無条件に楽しい日々は長く続かない。だからこそ、よろこびに満ち溢れた子どもの姿をみて、それが終わることを思い、涙を抑えることができない。

ライリーの物語は、全体としてみればありきたりな少女の平凡な物語だが、頭(心)の中を擬人化して心情描写を彼らの冒険活劇に委ねることで、子どもの心の中で起こっている、その子どもにとって唯一無二の激しい感情のうねりというものが、そして感情や思考がしっかり働かないということさえもが、驚くほど緻密かつ濃密に描写できていたと思う。

個人的に好きだったのは、家出を決行することで思考の列車が壊れてしまうところだ。

頭(心)の中を擬人化して心情描写をするという手法は、おそらく過去にもあっただろうと思うが、大事なのはアイディアが新しいかということではなく、そのアイディアによって物語がどう輝くかということだと思う。

この映画の場合、アイディアによって物語はだいぶ輝いていた。非常に小さなスケールの、日常的な物語が、ライリーの心という尺度からみればジェットコースターのように激しく突き進む動きを伴っていることを描いているからだ。

一方でアイディアのみに注目して観てしまうと、話のスケールが小さいわりに、ファンタジックに冒険を繰り広げるだけの物語に見えてしまうという危険性もあると思う。

そうなってしまいがちなのは、イマジナリーフレンドとか長期記憶とか記憶の墓場とか夢の作り方とか潜在意識とかいった心理学的な現象への理解が、思ったより深く頭の中側の世界での物語に関わっているからだ。

もちろんそんな知識がなくてもエンターテインメントとしての冒険活劇はあるのだが、出てくるギミックの特性がうまく伝達されづらい部分もあるのではないかと思った。

ストーリー製作チームのおかげで、物語の構成はこれ以上ないほど出来がよい。
同じピクサー作品ならばMr.インクレディブルレベルだと思うし、これからもピクサーからこういった作品がでてくると思うと非常にしあわせな気持ちになる。
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