けーはち

マッドマックス 怒りのデス・ロードのけーはちのレビュー・感想・評価

5.0
本作を2015年屈指の傑作映画に数える人は多い。映画熱が本作から再燃、エンジンを熱くてカラカラにさせた人も数多いだろう。かく言う私もその1人だ。

★世紀が変わってからもう15年を数えるのに未だに「世紀末」=ポスト・アポカリプス世界の形容なのは、往年の名作漫画・アニメ「北斗の拳」の影響だと思われるが、その「北斗の拳」などが色濃く影響を受けたのが「マッドマックス2」。いわば「世紀末」本家本元の30年ぶりの新作が本作なのである。

★核戦争後の荒廃で水は枯れ、大地は毒されて砂漠化し、人々は病み、暴力が蔓延る世界。かつて警官だった男マックスは妻子や大事な者を失い、本能のみで生きていたが、ある日、暴君イモータン・ジョーの手勢ウォー・ボーイズに捕まり、血液疾患を抱える彼らに健康な血を供給する「輸血袋」とされる。その後、ボーイズはジョーの妻たちを逃がそうとした叛逆者の大隊長フュリオサを追い荒野へ。その騒動に乗じてマックスは脱出、フュリオサのタンクを奪って逃げようとするのだが……

★話題となったキッカケは多分例の「火を噴くギター」が一番だろう。他にも魔改造車や白塗りメイク、ジョーへの狂信的信奉、「V8!V8!」「俺を見ろ!」などのキーワードの数々、ガソリンの吹き込み合戦や銀スプレー etc……小道具の数々の積み上げが、キャッチーかつ独特な世界観の「ノリ」を作り出し、「ヒャッハー!」と叫びたくなるお祭り映画として第一印象は取っ付きやすい。

★シナリオは簡素。砦から逃げてまた砦に戻る。以上。誰にでも分かりやすい。だが、描写として分かりやすい無茶苦茶な破壊行為、あけすけな暴力、エロ・グロなどの過激さに酔い痴れることはない。必要だからこそ破壊や暴力、闘争が描かれている。無駄を削いだ抑制的な演出、CGを極力排した生身のアクション、オーストラリアの砂塵に塗れた無慈悲で無骨な質感の映像は、ストイックなほど「本物」。

★作劇はお手本のような綺麗な三幕構成(マックスの意識が暗転するポイントが二度)。追撃からの「逃亡劇」だったのが、クライマックスを迎える頃には拠点を奪い合う「レース」へと話は移り変わる。変わり映えのない荒野のカーチェイスも、色合いが全く違うのだ。また、登場人物の精神状態と、外面の変化、周囲の状況の変化は比較的言葉少なながらも、ぴたりと噛み合う。口枷をはめられ野獣のようなマックスが自由と理性を取り戻し、皆を引っぱるリーダーとなる。そして優しさを取り戻し、フュリオサを戦友として慈しみ、背中を守る相棒として彼は戦うようになる。そんな変化。あるいはウォー・ボーイズとしてフュリオサに追いすがるもジョーに見捨てられて自分から他人との関係を築き上げて行くニュークスの変化。あるいはマックスを仲間として受け入れてからのフュリオサの変化。真っ向勝負の人間ドラマと言っていい。それでいて飽きさせないのは、人物が変化する起点として、アクションという起爆剤を伴っているからだ。実に明快。アクションは主菜であり副菜でもあると言えよう。

★「音」の効果も素晴らしかった。映画館で見た時は特に。劇伴もシンプルながら骨太に雰囲気を支える本作に合ったものだった。緩急も凄まじく、打ち鳴らされる太鼓と火を噴くギターはガツンと緊張感が高まるし、フュリオサたちが砦に戻った最後のシーンでは、曲が長調に変わり、同じ太鼓のフレーズが心なしか優しく聞こえてくるのも印象的。

★爆音と狂騒、暴力と破壊。激しく荒々しい映画だが、それは一面だ。意外なまでに上品で誠実で、人間的とさえ思える。筋だけ追うと神話のごとくダイナミックでシンプル。登場人物はひたむきに生き、洒落臭い飾り気や大層な思想などない。作劇は真っ向勝負。それでいて、精巧。沢山の寓意性とイメージを含む。だから、何も考えなくても面白く、考え出すと止まらない。それこそが『マッドマックス 怒りのデス・ロード』なのだ。