なしの木

マッドマックス 怒りのデス・ロードのなしの木のネタバレレビュー・内容・結末

4.0

このレビューはネタバレを含みます

前評判でとにかくヒャッハー!!テンション上がる!!という情報を目にしていたので、期待して観たのですが自分は思った程テンションは上がりませんでした。その代わり世紀末の暴力が全てみたいなローテクの世界観が細部まで作り込まれている所に引き込まれました。全体を通して残酷表現が続いたものの、さほど気持ち悪くは感じませんでした。やたら人がバンバン死ぬけれど痛みの表現があまり無く、ゴミのように散っていくのとこの世界では皆が平等に幸せではなのでその上で悲惨な目にあってもそれほど辛くは見え無いということだと思います。
ただ冒頭の、太った女性が搾乳機につながれている様子は胸が悪くなりました。それは搾取されて不憫という感情ではなく、醜く太り身動きが取れず搾乳機につながれている様子が自分が子育てしていた時の状態をまざまざ見せられているように思えたためで、現代の母親がいくら自由で活動的であるとはいえ、乳児を育てる母親は24時間、児とつながれているようなもの。なのでそれを最も悪趣味な形で視覚化されたように感じられてしまい、こんなに気持ちの悪い母性って‼︎と衝撃的でした。後からよくよく考えて、乳牛扱いなの?!と笑えました。
全体を通し、「盲目的な隷従」というテーマが繰り返し表現されていたように感じます。
イモータン・ジョーの砦を出て行ったフュリオサを重い病気である小人(ジョーの息子)が望遠鏡で監視していました。そこへ同じくジョーの息子であるリクタスが望遠鏡を「俺にも見せろ」と言った時、彼は「お前はパパのところに行ってろ」と応じませんでした。これはリクタスには状況を自分の目で見て分析し判断する能力は無いということを表しています。
フュリオサがウォー・タンクの進路変更をした場面ではサングラスをかけたウォーボーイズの1人が幾度も命令を確認するもフュリオサは進路変更の理由を明確に説明しません。にも関わらす、彼はフュリオサに従います。部下から「なんでだ?」という疑問が出ても無視し、自分の中の疑問も一旦は納めてしまうのです。彼がサングラスをしているのは彼もまた状況を自分の目で見て分析し判断する役割では無いということを象徴しているのでしょう。
追跡劇の途中、目を負傷して文字通り盲目的に銃を乱射していた武器将軍は自分の衝動を解放していただけなのでジョーへの隷従はしていません。マックスに「狂ってやがる」と言われただけあって、登場人物のなかでももっとも狂ってる、銃を乱射したいだけの人でした。
炎のギタリストは銃弾飛び交う中、被弾することもなく一心不乱にギターをかき鳴らし続けました。休憩中は吊るされた状態で器用に寝ていたところ、追跡開始となった途端に演奏を再開したところはコミカルで笑いました。最後に顔に巻かれていた布地が取れた時、一瞬しか見えなかった彼の顔に目がありませんでした。眼窩にはくぼみがあるのみ。最初から最後まで彼には何も見えていませんでした。
リクタス、サングラスのウォーボーイズ、ギタリストに共通して言えることはジョーあるいはジョーの部下であるフュリオサに隷従している駒だということ。そして駒にはハッピーな結末は待っていないのです。
フュリオサはジョーに従うと見せかけて脱走し自由を手にしました。彼女に従ったジョーの妻たちも、ジョーへ隷従し続ければ命の保証はされたはずだのに脱走しました。貞操帯に象徴されるように彼女たちは妻とは名ばかりの一方的な行為を強いられていたのだろうと思います。
貞操帯を切断した大きなペンチは、追跡車から放たれてタンク部分に刺さった鎖を断ち切るのにも使われて、ジョーの支配を断ち切ることが視覚的によく表されていました。
ジョーは部下に大赤字だとそしられても尚ウォー・タンクの追跡を止めませんでした。タンクから落ちたスプレンディドの児を部下に帝王切開で引きずり出させ、それがAランク(おそらく五体満足という意味)の完璧な男の子だったのに死んでしまったと知ったとき嘆き怒りました。ジョーにとって最も大切だったのは妻たちよりも完璧な後継者だったのです。ジョーの子供達はジョーと同じように酸素を吸入し呼吸器に疾患がある様子でした。またジョーには後継者らしき、リーダーシップをとれる人物が居ませんでした。リクタスは戦うための駒扱いで、砦に残っていた見張り役の息子は見るからに病弱でした。前者は体だけが優れ、後者は頭脳だけが優れていたので、ジョーは優れた頭脳と体をもった後継者を持つことを望んでいたのではないかと思います。蛇足ですが、引きずり出された児の臍帯は産み月より1ヶ月早かったとはいえ細すぎだったように思います。

ニュークスが今際の際に叫んだ「おれを見ろ」は、洋画でよく錯乱している人に対して「おれを見ろ(正気に戻れ)」と言う台詞が出てくるので「おれはジョーの洗脳が解けて正気になった。お前も目を覚ませ」という意味と「おれの生き様を見とけ」という2つの意味がかかってるのかなと思いました。

この物語でヒロインであるフュリオサはキラキラした妻たちと違い極力女性性を排除した格好をしています。そしてマックスもウォー・ボーイズのように肌をだすことを良しとせずニュークスから上着を取り返すとすぐ着ます。2人はキスもしないし熱い抱擁もしません。一見男女としての関係は無く、ただの同志として描かれています。しかしながら、気胸を起こしたフュリオサの胸にナイフを刺して脱気した場面、これはフュリオサの破瓜を象徴しているようにしか見えないと思いました。突拍子も無い解釈と思われるかもしれませんが、順を追って説明するとまずあのナイフはフュリオサのものでウォー・タンクのギアに仕込み刀として装備されていたもの。マックスがフュリオサを脅しタンクに乗り込んで銃をかき集めたときもこれだけは見つかりませんでした。骨のヘッドを引き抜いてナイフを確認したフュリオサ、カッコよかった……。これはフュリオサの攻撃性、つまりは内在する男性性のシンボルだと思います。フュリオサが気胸で苦しんでいる状態は、彼女の生き辛い人生そのもので肺を圧迫している空気を抜いてやる行為は生き辛さを取り除いてやる行為と言えます。マックスはこの時初めてフュリオサに名を名乗り、ナイフを刺す刹那「悪く思うなよ」と言いました。普通苦しんでいる人を目の前にして、自分が治療法を知っていたなら掛ける言葉は「待ってろ、今助けるからな」になるはずが「悪く思うなよ」そしてそれに続く輸血(輸血用のチューブをきれいにまとめて大事に取ってあったのはこのためだったのか!!とこの瞬間衝撃をうけました。そんな邪魔なもの捨てればいいのに何なのそれファッションなの?とずっと思っていたので)輸血袋としてでは無く、自分の意思でフュリオサに血を分け与えるマックス。胸腔への穿刺と輸血のための血管への穿刺は彼女を救うための侵襲。この映画の中で唯一双方合意の上で行われた小さな暴力。それはジョーがもたらした暴力とは全く性質の違うもので、フュリオサはマックスの小さな暴力を無防備に受け入れる。この行為によって女性性を排除して生きてきたフュリオサは本来の姿(息苦しさを感じずに生きられる女性)を取り戻し未来を手に入れた。端的に言えばマックスが、女としての時間が止まっていたフュリオサを本来の状態に戻したということ。これは直接的な性行為ではないにしろ、精神的にはそれに限りなく近い行為でありそのためにマックスは「悪く思うなよ」と言ったのではないか。無防備なフュリオサは自分を治療する相手を選べない。彼は、俺にこんな事をされるのはお前の本意ではないかもしれないがお前が生きるために他に方法がないから悪く思うなよと言っていたのではないだろうかと感じました。

鉄馬の婆が解放された妻の1人であるダグに「妊娠しているの?」と尋ねるとダグは「悪魔の子よ」と告げます。すると婆は「きっと女の子よ」と言う。ここでウルっときました。この一言には「産まれて来る子はあなたの子だからあなたに似る。きっと愛せるはず、安心して産みなさい」というメッセージが込められていると思います。「悪魔の子じゃない、私たちの仲間として受け入れるわ」という意思表明も。これは子を孕んだ女性への何よりの励ましの言葉だと思いました。「悪魔の子だから堕ろせ」ではないのです。「そこに居るのはあなたの子、私たちの仲間、一緒に生きていきましょう、大丈夫よ」と深いシワの刻まれた説得力のある顔で言われた日にはありがとうという言葉しか思いつきません。きっと産まれてくる子が女の子でなくても良いのでしょうが、この一言のセンスの良さには脱帽です。
ここでふと、1つの事が思い当たります。『この婆、こういう状況初めてじゃないな』鉄馬の女たちの歩んできた道程を思うとまた胸が締め付けられます。

男達のヒャッハーには共感できませんでしたが、女達の生き様に泣けました。鉄馬の女の長がとってもカッコよくて美しかったのに途中で死んでしまって残念です。
なしの木

なしの木