ほどぼち

ELVIS エルヴィスのほどぼちのネタバレレビュー・内容・結末

ELVIS エルヴィス(2005年製作の映画)
4.2

このレビューはネタバレを含みます

「支配」に翻弄された大スターの半生から、「幸せとは何か」考える(映画『ELVIS』の感想)

・観ていて、心が苦しかった。
・それは、エルビス役のオースティン・バトラーの自由を求め、もがく演技が光っていたからだろう。
・エルビス・プレスリー。誰もが知る、ロックンロールの王様。世界史上、最も売れたソロアーティスト。エルビスがいなければ、ビートルズもクイーンも存在しなかった。
・けれど、そんなエルビスには一切の「自由」がなかった。やりたい海外ツアーもできず、会場とホテルに拘束される日々。会場では、神様のような喝采を浴びるが、部屋に戻ると、虚しさに襲われ、それを埋めるかのように、薬や女に溺れるエルビス。愛する妻と子も離れ、そこに相次ぐ有名人の襲撃ニュースに、精神を病んでいく。
・ショックだった。この世の成功を一人で全て享受したようなスーパースターは、全く自由もなく、幸せに見えなかったのだ。大大大成功者の彼が幸せになれないなら、一体わたしたちは人生で何を目指すべきなのだろう?「幸せとは何なのか」考えざるをえない。
・エルビスの自由を奪ったもの。それは「支配」だったように思える。エルビスを大スターに押し上げた強欲なマネージャー・トム・パーカー。ドル箱であるエルビスを手放さないよう、トムはエルビスを巧妙に支配する。エルビスの意思を排除し、飼いならすのだ。エルビスは、何度も、トムの支配から抜け出ようと、もがく。社会的な批判を恐れず、ライブで自らのパフォーマンスを敢行し、世間からも絶大な指示を得る。きっとトムから独立できるチャンスは何度もあった。けれど、結局、トムの支配から抜け出せなかった。それは、エルビスにとって、トムが、自分の親のような存在でもあったからだ。精神的な支配の恐ろしさを垣間見た。
・先述したとおり、エルビスの不自由さを見ると、「幸せとは何か」考えざるをえない。わたしは2つの人生訓を学んだ。
・1つは「子どもを絶対に支配しない」ということ。トムは、エルビスにとって、親のような存在。そんな存在だからこそ、トムの精神的な支配から、エルビスは自由になれない。精神的には監獄に入れられたような気分になったのではないか。わたしは、子どもにそんな不自由を絶対に味わせたくない。支配されるのでなく、自分の意志で人生を歩んでほしい。だから、子どもの意見は最大限に尊重したいと思う。
・2つ目は「自分も絶対に支配されない」ということ。これは非常に難しいことだ。一説によれば、人間の意識の97%は「潜在意識」が占めるという。つまり、自分でもコントロールできない潜在意識に、私達の行動はほぼ支配されているのである。ネガティブな潜在意識を乗り越え、本当の意味で自由になるのは、一朝一夕では出来ない。けれど、あきらめたくはない。人間の潜在意識は、「べき」という形で、思考を狭めるという。だから、自分の「べき」を洗い出したい。そして、「べき」をひとつひとつ手放す訓練をしていきたいと思う。
・エルビスの、自由を求め、もがく半生は、観るものの心を掴み、離さない。スケールは違えど、誰かからの支配に苦しむ様など、誰しも似たような経験はあるし、得られる教訓はあると思う。
世間的に大成功することが、必ずしも「幸福」ではない。自分だけの幸福を目指し、人生を全力で楽しみたい。
ほどぼち

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