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バットマン vs スーパーマン ジャスティスの誕生のnoteのネタバレレビュー・内容・結末

3.4

このレビューはネタバレを含みます

スーパーマンはゾッド将軍の侵略を阻止し、地球の危機を救った。しかし、スーパーマンの能力や戦いの被害によって、「地球外から来た脅威、異星人」として地球から追放すべきという世論が強まっていた…。

「スーパーマン」をリブートした「マン・オブ・スティール」の続編。
どこを見ても酷評の嵐だが、個人的には娯楽映画としては充分及第点だと思う。
ポップで陽気なMCUシリーズよりは、ダークでシリアスなDCコミックシリーズの方が好みなのもあるのだが。

そもそも有名な二大ヒーローが戦うなんて、胸踊るではないか。
もちろん、どちらも正義の味方なのだから、何かしらの事情があって「戦わざるを得ない」状況に陥るのは必然。
その枷が解かれたら、2人のベクトルは正しい方向に向かい、共闘していくに決まっている。
ヒーロー2人が戦って、どちらかが死ぬか、倒れるかなんて期待するのは所詮無理な話。
片方の人気を落とすだけだ。
見る前からストーリーは分かっている。

片や、人智を超えたスーパーパワーを持ち、高速で空を飛び回るエイリアン。
片や、防弾スーツで身を固め、最新のガジェットを駆使して戦う普通の人間。
結果など戦う前から目に見えている。

だが、普通の人間であるバットマンが、どうやってスーパーマンに挑むのか?
(運が良ければ)一矢報いることができるのか?
本作の興味はそこに尽きる。

バットマン映画を未見の人にも分かるようにバットマン誕生の経緯を描いた後、ストーリーは前作「マン・オブ・スティール」でのスーパーマンとゾッド将軍との戦闘の被害を描く。
人智を超えた驚異的な力を持つスーパーマンは「人類にとって危険な存在」だと考え、バットマンはスーパーマンに戦いを挑むのだが、ここは911テロの影響が濃い。

バットマンは特に近しい人を亡くす訳ではないが、正義の味方が「これ以上被害者を出してはいけない」「自分がやらなければ誰がやるのか?」と奮い立つには理由は充分。
自分の社員が犠牲になったのを見て、スーパーマンを憎むなんて部下思いの社長ではないか。

一方で、本作の悪役となるレックス・ルーサーJr.はゾッド将軍がテラフォーミングしようとした装置に含まれるクリプトナイトに、クリプトン人に対する「抑止力」になると考え、法を無視して入手し、研究を始める。

本作でのルーサーはどこかイカれた若き天才。
人類の脅威スーパーマンを排除しようとするバットマンとは違い、「宇宙人のくせに生意気だ」「コイツがいたら思うように悪さができない」と子どもじみた動機でスーパーマンを倒そうとする。
イカれた人間が権力を持ち、私利私欲のために暗躍するのは、バットマンの悪役ジョーカーに近い。

ルーサーの計画を知ったバットマンは、スーパーマンの危険性を執事のアルフレッドに説き、クリプトナイトを盗み出す計画を立てる。
なぜ、クリプトナイトがスーパーマンの弱点となるのか?が、ちゃんと説明が無いのがSFとしては不親切だが。

中盤、戦闘の被害者がスーパーマンを訴え、力の行使の妥当性について議会の審問が行われる。
見る前から分かりきったストーリーの中で、ここが意外性があって一番面白い。
ヒーローに贖罪を求めるのである。
しかも人類の法律の適応外であるエイリアンのスーパーマンは馬鹿正直にやってくる。
まるで戦争の英雄を裁く軍事裁判。
関係のない一般市民を巻き込むことは、いかに力を持った者でも許されない、とアメリカはリベラルな法治国家であることを暗に訴えてくる。
しかし、ルーサーの策略で、皮肉にもその質疑の場で爆発事件が起き、多くの死傷者が出てしまう。
スーパーマンは自らの行動で人々が巻き込まれることに自責の念に苛まれる。
まるでアメリカそのものではないか。
アメリカの自己批判と反省が見て取れるのがいい。

その頃、バットマンはレックス・コープを襲撃してクリプトナイトを盗み、クリプトナイトを組み込んだ武器と専用のパワードスーツを作りスーパーマンとの戦いに備えていた。
ルーサーJr.はクラークの育ての親であるマーサ・ケントを誘拐してスーパーマンを誘き出し、マーサの命と引き換えにバットマンの殺害を要求。
スーパーマンとバットマンの対決を焚きつける。

さて、両者の対決となるのだが、最新兵器を駆使するもバットマンはあっという間に劣勢に。
しかし、スーパーマンのパワーを無力化するクリプトナイトを使用してから巻き返す。
意外にも殺す手前まで行くのだから大健闘だ。
「人間ながら、よくやった」と満足できる迫力である。
思わずスーパーマンが呟いて、バットマンが彼を殺すのをやめるキーワードが、両者の母親の名前がマーサだったから、というのは偶然にしても都合が良いが、スーパーマンが暴君ではなく、母親を思う1人の人間であることバットマンに納得させるには充分。
スーパーマンが無力感に泣くなんて、人間臭くて良いシーンではないか。

と…ここまでは良い。
とても納得できる展開である。
一番の問題はラストの最終バトルだ。

2人は嵌められたことに気づき、ルーサーを倒そうとする。
2人でルーサーを捕えて一件落着と思いきや、追い詰められたルーサーはエイリアンの科学力を利用して、ゾッド将軍の体と自らの血を組み合わせて生み出した怪物ドゥームズデイを解き放つ。

流石にラストはやりすぎだろう。
2人の共闘を見せるための大袈裟すぎるファンサービスとしか思えないオマケである。
刺激を求める観客を満足させるために、前作のような破壊バトルを無理矢理くっつけた感は否めない。
ルーサーが残ったクリプトナイトでスーパーマンを苦しめながら、モブの圧倒的多数の武力でバットマンを手こずらせる方が、ルーサーの知的な悪役としての印象も残るし、理に叶っている。
何より現実的だ。

最終バトルには助っ人としてワンダーウーマンが登場する。
暴走進化を続けるドゥームズデイに対してクリプトナイトの効力で倒すしかないのは明白。
しかし、スーパーマンはクリプトナイトで無力化するし、普通の人間バットマンは攻撃を避けるので精一杯。
クリプトナイトの影響を受けないワンダーウーマンの登場は、次の作品への紹介も兼ねて、この戦いでは必要不可欠だったのだろう。

加勢を得て、スーパーマンはクリプトナイトの槍をドゥームズデイに突き刺して倒すが、同じくクリプトナイトの影響を受け弱体化したスーパーマンもドゥームズデイに胸を貫かれてすぐ死亡する。

人類は再び救われたが、英雄スーパーマンが死亡するというのは、子どもも見るのにショックだろう。
今後、スーパーマンを殺すほどのドゥームズデイ以上の強大な悪役がシリーズに出てくるのか?という不安も残る。

予想と期待以上のモノを見せようとして、滑ってしまった残念な作品と言うのは認める。
リアリティを貫けばストーリーはそれなりに評価されただろう。
とはいえ、迫力のバトルは娯楽映画としては及第点である。
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