尿道流れ者

インヒアレント・ヴァイスの尿道流れ者のレビュー・感想・評価

インヒアレント・ヴァイス(2014年製作の映画)
2.5
暇を持て余した文系大学生がする背伸びとして、ジョイスとピンチョンに手を出すという通過儀礼めいたお遊びがある。そこで浴びる洗礼は、楽しいという感覚よりも恐ろしく大きなものに触れた不安感と個人的な経験と秘密を手にしたというこそばゆくも特別な嬉しさをもたらす。ピンチョンの偉大さはその複雑さが馬鹿げた方向に全力で向かっていることで、それでいて実は自分自身がむき出しになるような状態に読んでいて自然となるような部分にあると思う。小説から浴びる知識の波は決して体を連れ去るものではなく、身にまとっていた物のみを流しとるような繊細な粒でできていて、自ずと自分の趣向などが浮き上がり、克己させる何かを体の奥底に燃え上がらせる。

原作と映画を比べることはできないし、少なくともこの映画にはピンチョンへの愛があったと思う。スムーズさやスピード感はなく、話が進まないがそれが心地よく、終わらないことが嬉しいという点ではピンチョン的だったと思う。

でも面白いとは思えなかった。映画というスケールに小説が抑え込まれたような演出がどうしても悲しい。こんなもんじゃない、ピンチョンは。

狂言回しはいらなかった。ピンチョンにある神的な第三者の視点はそういった形で成立するものではない。
音楽は良かったし。この作品で言うグルーヴィなカットも多くあった。しかし、それ以上に削減された原作の豊かさにやりきれなかった。

もっともっと馬鹿馬鹿しくて、可愛らしく、ムーディでグルーヴィな作品がピンチョンだ。おふざけが足りなかった。

PTAのマスターは岩をじっと見つめるように奥深く、静謐な情感があった。そこから得るものは、時を超えるほどの辛辣な真実性があった。この映画にはそれがない。ピンチョンの作品を借りて、70年代を切り取っただけに思えた。

期待が大きすぎて、正しい見方ができなかっただけかもしれないが、物足りなかった。

それでもラスト10分の情感は映画として素晴らしかったし、これからもピンチョン作品の映画化があれば絶対観たい。その時は4時間でも5時間でも付き合うから、もっと綿密で愚かな映画にして欲しい。そこに浮き上がる泣きたいほどの感情がピンチョン的である要因の一つだと思っているから。