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アマデウスのEyesworthのレビュー・感想・評価

アマデウス(1984年製作の映画)
5.0
【誰もが信じ崇めてるまさに最強で無敵の"アイドル"モーツァルトの素顔】

ミロス・フォアマン監督が『カッコーの巣の上で』に続いて2度目のアカデミー作品賞・監督賞など当時最多の8部門を受賞した、宮廷作曲家でモーツァルト最大のライバルと見なされていたアントニオ・サリエリの視点からヴォルフガング・アマデウス・モーツァルトの生涯が語られるクラシック音楽史フィルム。

〈あらすじ〉
自殺を図り精神病院に運ばれた老人サリエリのシーンから始まり、そこで神父に自身の過去の栄光と罪を明かす。アントニオ・サリエリ(F・マーリー・エイブラハム)はかつて、神聖ローマ皇帝・オーストリア皇帝に仕える宮廷楽長としてヨーロッパ楽壇の頂点に立った人物であり、ベートーヴェン、シューベルト、リストら後世に残る著名な音楽家を育てた名教育家としても輝かしい経歴を持つ。そんな非凡に見える彼だが、実はある人物の存在によって常に劣等感に苛まれており、その天才のせいでクラシック音楽史の隅に追いやられるほどの敗北を味わっている。彼こそヴォルフガング・アマデウス・モーツァルト(トム・ハルス)である。作中でのモーツァルトは、奇天烈な甲高い笑い声を上げ、突飛な思考と言動で周りを困惑させる、とてもまともな人間とは言えない。そんな彼に対して
「神はなぜあんな品性の欠片もない男に天賦の才を与えたのか?何故それが神に敬虔に祈り、懸命に尽くしている私ではないのか」
とサリエリは毎晩神に悔しさをにじませて祈りをあげる。そして、サリエリは仇敵の失墜を狙い、遂にある計画を企てるがその結末はいかに…。

〈所感〉
サリエリにとってモーツァルトは憎きライバルであり、同時に現代で言う最高の"推し"であった。しかも大衆には理解できない程の音楽の才を持っており、この才能を理解できるのはこの世に自分しかいないと考えているタイプの痛い"オタク"だった。(悟空とベジータ、有馬かなと黒川あかね的な)
ただ、彼自身も本当に優秀なため、最後のシーンのようにモーツァルトと一緒に作曲することができる唯一のポテンシャルを持っていた。サリエリがそれをもっと早く認め、寛大な心で彼を包み込む鞘となる器があれば、お互いを高め合い、協奏(競争)できるパートナーとなり得る世界線があったのだろうに、それに気づくのがあまりにも遅すぎた。才能は平凡だが、社会的地位も金もあるサリエリと才能は非凡だが、社会的地位も金もないアマデウスの対比は残酷な社会の適者生存を見ているようだ。それが現代では、サリエリの名はクラシック音楽ファン以外からは忘れ去られ、モーツァルトの名はこの世の誰もが知っているのだから面白い。残した物の量と質が違うのだろう。彼の音楽はそれくらい日常に浸透してるし、そんな彼の魂が込められた交響曲やセレナード、オペラを至る所で感じられる映画なのだから素晴らしい作品にならざるを得ない。そして愛憎入り交じる眼差しで"アイドル"モーツァルトを見届けた、偉大なる"オタク代表"サリエリに心からの敬意を表したい。
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