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瞳の中の訪問者の教授のレビュー・感想・評価

瞳の中の訪問者(1977年製作の映画)
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あんまり感想が湧いてこない映画だった。

ひとつは、膨大にある大林宣彦作品を観ることができる範囲では全て観てみようと思っての鑑賞ではあるが、気付いたのは、作品の出来云々より、続けて観ると「飽きる」傾向があるのではないか?ということ。

たくさん観てきた「強み」としては、大林宣彦の「テイスト」や「傾向」「特徴」などをわかってきた、という部分。
対して、一方に「基本的にいつも同じ」であるということ。

執拗なまでに、毎回似たような(同じ)シーン(ラスト近くのボートでのシーンは「野ゆき山ゆき海べゆき」にもあった)が出てくること。
繰り返し出てくる要素はファンタジー故の「トンデモ」な展開と、唐突過ぎるエピソード。
基本的には「葛藤」の要素は皆無。

寧ろ、全員死んでいるのではないかと思えるぐらいにディスコミュニケーションな上に、いわゆる映画というメディアで語られる「ストーリー」は完全に破綻している。
時折、挟み込まれる「身も蓋もない」悪趣味なギャグなど。
これは基本、お約束。

しかし…本作はちょっと全体的にそれらが持ち味になりきれていない印象がある。

主演の片平なぎさの演技が、新人にしては見事なまでに「達者」ではあるが故に、大林作品としては、ちょっと違和感を生んでいる点。
対して主人公格の山本伸吾の演技が、役柄として「身が入っていない」印象が強い。
「棒読み」もまた大林映画の持ち味のひとつだが、そこには新人俳優独自の「初々しさ」がプラスに働くという作用があるが、それがあまりフレッシュに感じられない。

そこに妙に可憐さが際立つ志穂美悦子が、元々僕の好みであるが、どうしてもそっちに目が移ってしまう。

ブラックジャックを演じる宍戸錠のスター然とした風格や、ルックスも、原作者手塚治虫を怒らせた皮膚の色はどうかとも思うが個人的には特に気にならなかった。
どちらかというとピノコが、やはり実写向きではないのだろうと強く感じたりする。

ただ終盤につれ、より大林作品らしい不穏さと高揚感は出てきたように思うが、何より気になったのは、普段の実写作品ではやたらとカットを割りまくるのに対して、本作は比較的長回しが多いこと。
映画としていつも自由すぎるほど、自由なのことは評価したいと思うが、逆に原作へのリスペクトが強過ぎるぶん、暴れ切れていない。その分作家性が薄らいでしまったように感じてしまった。

途中、大林監督自身がノリノリで出てきて悪目立ちするのは爆笑と失笑の両方があって、本作を象徴しているとも思った。
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