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ニンフォマニアック Vol.1のhasseのレビュー・感想・評価

ニンフォマニアック Vol.1(2013年製作の映画)
3.1
演出3
演技4
脚本3
撮影3
照明3
音楽2
インスピレーション4

ある女性ジョーが自らの性体験の遍歴を物語る。聞き手はユダヤ人の初老の男性セリグマン。ストーリーの大半は、語られる性体験とそれをめぐる人間ドラマーー

これだけの内容であれば駄作で終わっていたかもしれない。ジョーの語る内容は刺激的とはいえこの手の話にありがちなものだ。

この映画を面白く仕立てているのは、実は、聞き手セリグマンだ。彼はジョーの語りに度々割って入る。ジョーは語りながら、過去の自分に対する罪の意識や疑問(なぜそんなことをしたのか分からない)を口にする。セリグマンは、彼女の個人的な、唯一無二の体験談を悉く、一般化、抽象化しようとする。
例えば、ジョーが父親の死に直面した際「濡れていた」ことに罪の意識を感じると告白したとき、セリグマンは罪の意識を感じる必要はまるでない、それはよくあることだと医学的に証明されていると返す。

この映画の裏ストーリーは、個人の伝記を物語る、自由奔放な、ミュトス的な言葉(ジョー)と、それを論理的、抽象的に解釈しようとするロゴス的な言葉(セリグマン)のせめぎあいである。しかしミュトスはロゴスに屈しない。ジョーはセリグマンの言葉を話半分に聞いていて、己の思うように語っていく。
そして、そのミュトスは、恋愛という楔から解き放たれた「女の性」を語るという点で貴重であり、健全だ。ジョーは色情症を自認しつつも相手への恋愛感情を持たない。物語の歴史のなかで、ともすれば恋愛とセットで語られてきた女の性を、新たな言葉で語るジョー。
一見ありがちな設定、ありがちなストーリーを想わせるこの映画の真の正体はそこにある。

一番見ごたえのあるシーンは、ユマ・サーマン演じるH夫人が三人の子供とともにジョー宅に乗り込み、Hとさらにジョーの別の恋人アンディも交えての修羅場を作り出すところ。H夫人がしきり出す傍ら、隅のほうで小さくなっているジョーとHの姿がコミカル。
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