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グレート・ビューティー/追憶のローマのnoteのネタバレレビュー・内容・結末

3.9

このレビューはネタバレを含みます

65歳になるジャーナリストのジェップは、40年前に書いた小説で成功を手に入れ、それきり小説は書かず俗物的な日々を送っていた。毎晩のようにパーティーへ顔を出す彼は、ローマのセレブ界でも有名人。ジェップは女性にもよくモテたが、初恋の人エリーザ以上に愛せる女性は現れず独身を貫いていたが…。

感想を一言で表すとすれば、「熟成したワイン」のような映画である。
栓を開けた時の華やかな香り、口に含んだ時に一瞬だけ感じる鮮烈な果実の味から、次第に深みを感じ、そして渋みや苦味へと変わる味わい…そんなストーリーの流れを持つ作品だ。
何をカッコつけているのか?と思われそうだが、これ以上の言葉が私には思いつかない。
何もかもを手に入れたはずの(熟成したワインのような)初老の男が、自身の生き方を見つめ直していく人間ドラマの秀作である。

アメリカ映画のように生命の危機によるスリルなど微塵もないが、様々な退廃的なエピソードと会話で織りなす人間模様は知的かつエロティックで、次は何が起こるのか?という期待に満ち、充分にスリリング。
さすが、イタリア。
ファッションも恋愛感も洒落ていて奥が深い。
まるで、ローマという街が時をかけて主人公を熟成させたかのようだ。
映画ファンならば、当然フェデリコ・フェリーニ監督作品群のノスタルジーとエロスを思い出すだろう。
コレはイタリア映画でなければ出せない空気である。

良い歳をして夜ごとパーティーに繰り出す(中世貴族文化の現代版とも言えるような)退廃的な暮らしを送るジェップを突然エリーザの夫が訪ね、彼女の訃報を知らせる。
夫からエリーザは生涯ジェップのことだけを愛していたと聞かされ、ジェップはもう一度小説が書いてみたくなる。
序盤は、パーティーと初恋の思い出が「華やかな香り」を醸し出す。

自分の人生を振り返るため、ジェップは昔の友人を訪ねる。
友人の娘で42歳にもなってストリッパーをしているラモーナに興味を抱いたジェップは、彼女をデートに誘う。
ラモーナは強い意志を持った魅力的な女性で、ジェップは彼女と付き合い始める。

ジェップはラモーナを大切な存在だと感じ、彼女もジェップに心を開く。
しかしラモーナは重病を患っており、あっけなく死んでしまう。
中盤は「鮮烈な果実の味(ラモーナへの恋心)から、次第に深み(肉体関係とは違う、精神的な繋がり)」を描いていく。

初老を迎えていたジェップも彼の友人も、これからの人生について考えるようになっていく。
ジェップはエリーザが自分を捨てた訳を知りたくて、彼女の夫を訪ねる。
エリーザが密かに綴っていたという日記を読ませて欲しかったが、日記はすでに破棄されていた。
堅実そうな女性と再婚したエリーザの夫を見て、ジェップは祝福の言葉を送る。
いつものように自宅ではセレブの集まるパーティーが開かれ、ジェップは狂騒の中にいた。
その中でジェップは自分の人生を「無」だと感じていた。
それをどう小説に書けばいいのか、ジェップには分からなかった。

終盤にかけてジェップの人生は「渋みや苦味」へと変わっていく。
刺激を与えてくれる(気持ちも身体も実年齢よりは若い)パートナーになり得る女性を亡くし、未来を失うばかりか、初恋の人の想いを知ることができない。
狂騒に溺れて何一つ得られず、また残せずに失われた時の空虚さを知る苦渋である。
ここでようやく一見セレブで満ち足りた生活をしているジェップが、我々庶民に近づき共感ができる。
仕事や子育てに追われて、人生において何も残せなかったのではないか?という想いだ。
小説という芸術を残せたが、家庭や愛を得られなかったジェップは幸せなのか?
家庭を得られたが、後世に残る何かを残せない我々庶民は幸せなのか?
人生における幸せとは何か?という問いが、見る者に迫ってくる。

ジェップはアフリカで長年慈善活動に勤しんで来た高齢のシスター・マリアにインタビューをすることになる。
草の根だけを食べているシスター・マリアは「根っこは大事だ」とジェップに告げる。
「大いなる美」を求め続け、それが見つからないことに失望していたジェップは、シスター・マリアが目の前で起こした奇跡に背中を押される。

筆を置いていたジェップとは正反対に、信仰一筋であったシスター。
「継続は力なり」の教訓がイタリアにあるのかは分からないが、継続してきた者の説得力は凄い。
ジェップは自分の「根っこ」である「若き日の感受性」を取り戻せる気がしたのだ。

エリーザと初めて会った島を目指し、エリーザの美しさを思い出しながら、ジェップは小説の冒頭部分を考え始める…。

本作はある程度の人生経験を経た大人の男性に向けた映画である。
自分は一体あと何年生きられるのか?と思い始めた人にこそ共感する部分が多く、誰が見ても面白く分かりやすい映画ではないのが難点。

ローマの古典的な美しさには静寂があり、セレブたちが繰り広げる馬鹿騒ぎには異様なエネルギーがある。
この静と動のイメージを何度も繰り返し、その中に死が埋め込まれている。
それが人生だと割り切るには、見る人間がある程度大人であることが必要だ。

大人を代弁するジェップ役のトニ・セルヴィッロの色気と存在感は絶品。
65歳のちょいワルオヤジで、ファッションもパーティーでのダンスもさりげなくかっこいい。
こんな風に歳を取りたいモノである。

ローマの街が年季の入ったワインの樽だとすれば、その中でジェップというワインが発酵し、熟成していく。
そして次の小説作品という瓶の栓がまもなく開けられる。
冒頭に戻るが「熟成したワイン」のような映画である。そんなイメージの作品だ。

監督はさぞかし老練な巨匠か?と思いきや、パオロ・ソレンティーノ監督は40代前半でこの作品を撮っている。
今後も芳醇な映画を撮って欲しいモノである。
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