通りすがりの学生

THE DEPTHSの通りすがりの学生のレビュー・感想・評価

THE DEPTHS(2010年製作の映画)
3.0
考察

永遠に君を愛すからは写真を引き継ぐ

ドライブマイカーの鑑賞後にこの作品を鑑賞すると、ドライブマイカーまでにそれぞれ要素を顕著に出した作品を作っていったのだなと感じた。これは身体的対話に対して重きを置いた作品だろう。

言語形態による分類
主人公→記号的
友人→身体的
少年→身体的

写真→身体的対話の保存

本当の自分を見つける物語として真実を見つめている者たちが多く登場する。
去ってしまった花嫁やドラァグクイーンたちである。

友人は主人公をいなくなってしまった妻の代わりとしていてくれることを望むが主人公はそれを演じようとはせず、あくまで自分自身のために撮影を行う。

仕事として行うセックスは身体的対話にはなり得ない(ドライブマイカーの妻とのセックスと同様である)ものである。
少年が着飾らない様子を主人公が気に入ったのは彼とカメラを通すことによって言語の異なった記号的対話を超越した身体的対話が可能だったからである。着飾ることでそれは見えないものとなってしまい、拒絶した。

鏡が破られたことで仮初の少年はいなくなり彼は自分自身と向き合うチャンスを得る。

友人は少年に対して記号的対話を避け、身体的対話のみ行う。よって妻とも記号的対話を重ねることはなく彼女自身を見つめることがなかったために去っていってしまったのだ。

友人と主人公は今まで記号的対話のみであったが最後に主人公が殴ることで初めて本音でぶつかったのである。

赤ちゃんの着信音は彼が誘惑から逃れるための手段として大きな役割を果たす。結果として少年は男娼を止めることはできず、2人はすれ違い別のタクシーに乗って別れていく。

車・電車