うめ

6才のボクが、大人になるまで。のうめのレビュー・感想・評価

3.0
 アカデミー賞関連作、鑑賞その15。去年のアカデミー賞で、パトリシア・アークエットが助演女優賞を獲得している。メイソンJr. が6才から18才になるまでの12年間を綴ったドラマ。実際に12年間をかけて断続的に撮影されたことが注目を集めた。

 今作は撮影方法がとてもユニークだ。12年間も同じキャスト、スタッフで一つの作品の撮影を続け、かつそれを一つの作品として仕上げたことは、なかなか出来ることではないし、素晴らしいと思う。細かい契約に縛られたハリウッド業界で、よくできたと思う。ただ私にとっては、この手法は目新しいものでもなかったし、作品のストーリーを盛り上げる機能を果たすものであったかどうかは疑問だ。

 確かに作中の時間が経つにつれて、登場人物たちが成長する(あるいは年老いていく)様子は観ていて驚きがある。だが、その驚き、客観的な変化は他の媒体(写真や絵画など)でも、既に私達が経験しているものだ。さらにそれはメイソンJr. の変化を見なくても、簡単に体験できてしまう。つまり、私達が持っているアルバムやホームビデオを時系列に見ていけばいいのだ。自分や周囲の人物の変化であれば、その驚きは増すのではないだろうか。

 この手法を使うこと自体を批判したいのではない。その手法が作品の中で、上手く機能していないことに問題があるのだ。そして機能していない一番の原因は、ストーリーの雑さにある。そもそもこれがドキュメンタリーであったら、これくらいゆるいストーリーでも許容できるのかもしれない。だが、これはあくまでもフィクションだ。メイソンJr. の身体的な変化はよくわかる。だが、内面的な変化はどの程度描かれていたのだろうか。そこに疑問が残る。別に浮き沈みある思春期を描けとは言わないが、メイソンJr. が場面ごとに何を考え、何に葛藤していたのかがほとんど見えない。内面的な変化があったとしても、台詞でさらっと事後的に語られるのみ。他の登場人物も同様で、身体的変化が明らかなのに反して、内面的変化が曖昧なのがすごく違和感だった。

 また時間の経過を表すのに、あからさまに小道具が登場したのも、無理矢理入れ込んだようで違和感。少年時代に流行していたゲーム機が登場するのは、少年時代の様子を表すのにしょうがないとしても、政治的なネタやその他の流行事を所々に出してくるのは…私はあまり好きではない。それこそ当時を示す商品のドキュメンタリーみたいだ。これはあくまでもフィクションだ。さらっとやるならまだしも、あからさまなのが気になった。

 唯一良かったと言えるのは、パトリシア・アークエットとイーサン・ホークの演技だろうか。彼らが登場すると、しっかり「家族」の物語なのだなとわかる。それぞれ特徴のある母親と父親を演じてくれたおかげで、何とか観ていられた。

 おそらく私の問題もあるのだろう。母親として子育てをしたこともないし、アメリカ的な教育を受けたこともないし(日本では18歳で大人とは考えられない)、メイソンJr. のような家庭で育ったこともないし…共感できる点がひとつもない状況だったのも、この評価になった要因の一つだ。

 もうこれくらいにしておこう(笑)もう少し自分が年を取った後に、見直してみるとまた評価が変わるのかもしれない(実際、そういう作品は今までいくつもあった)。とりあえず今回はここまでで。
うめ

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