ぽん

複製された男のぽんのネタバレレビュー・内容・結末

複製された男(2013年製作の映画)
3.4

このレビューはネタバレを含みます

ドッペルゲンガーの話と聞けばついついドストエフスキーの『二重人格』を思い起こしてしまう。ドストの方の映画、ジェシー・アイゼンバーグ主演「嗤う分身」(2013)も面白いです。

さて、本作。なにしろジェイク・ギレンホールの二役演技が見もの。やっぱり巧い。別々のシーンではちょっと混乱するけど(どっちも本人なんだから仕方ない)、ご対面シーンでは姿勢や表情(特に目線)で完全に別人格になってた。

女優陣の豪華さも眼福だった。セクシードレスに生足ピンヒールで出勤しちゃうメラニー・ロラン。なに、あのオフィス。(この不自然さはオチが分かれば納得) イザベラ・ロッセリーニも短いシーンながら存在感があって場の空気をピシッと締めていた。

考えてみればドッペルものって結局、一人の人間の幻想というオチに落ち着く。ただ、現実と非現実の混交、混在という“虚構”は逆にリアルを超えたリアル、“ハイパーリアル”となって我々に迫ってくる。
幻想だからと言って夢マボロシのごとく実体がないのではない。ましてや無意味なものではない。見えている表層に心を動かされエモーションを掻き立てられるなら、それは見る者にとっての現実であり何らかの真実であろうと。あー、これは汎用的なフィクション論になるかな。

観終わってから他サイトなど覗いてみてようやく内容を呑み込めた。実は教師のアダムは、役者アンソニーが作り出した幻想だった。自分の浮気が原因で夫婦関係が壊れかけていたけど、誠実な男アダムという別人格の男を生きてみて、浮気性のダメ人間なアンソニーを幻想の世界で殺して、そうして妻の元にまた戻ってくる物語なのだと。
卑猥な妄想世界を彷徨った末に奥さんの元に戻るって「アイズ・ワイド・シャット」(1999)みたいな話だった。

ただ、最後の最後で、この男はまたエロスの世界への鍵を手にしてウヘヘとなってしまうのだから、ダメ人間脱却とはなってない。これはアダムが教室で講義していた内容と重なる。彼は「歴史は繰り返す」と語っていて、古代ローマがパンとサーカスによって民衆を支配して愚民化を図り独裁を敷いていたのだと語る。パンとサーカス=食糧と娯楽、この主人公の結婚生活はずっと「家庭とお遊び」を繰り返していくのかな~という暗澹とした未来を思わされる。最後の衝撃的なショットも、そんな悪夢にとらわれ絡めとられて身動きがとれなくなるイメージだった。彼を支配するものは罪ということか。ツライお話だわー。
ぽん

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