すず

闇のあとの光のすずのネタバレレビュー・内容・結末

闇のあとの光(2012年製作の映画)
3.5

このレビューはネタバレを含みます

映像の叙情詩のような映画で、混じり気のない極私的な映像世界を描いていた。壮大な自然を厳かに映し出し、美醜でいうところの、人間の醜い部分の印象が残るが、人間の生と死の間で繰り広げられる他種多様な営みというものを前提に、とある家族の一つの人生ドラマを描いていたと思う。そして、工具箱を片手に赤く発光した牛頭の悪魔(?)は一体なに?大自然と人間のリアリズムを独自の手法で描き出すような印象から、突如の破壊的な異物感。

物語の主要人物は、フアン(夫)、ナタリア(妻)、エレアサル(息子)、ルートゥ(娘)、セブン(メキシコの村人)。

物語が断片的で、時系列もめちゃくちゃな上にその脈略を感じ取れないのだが、とにかく現在と過去と未来を不規則に往来しているようだった。そして、本編と全く関係ないような白人の学生たちがラグビーをしてるシーンが挿し込まれる。いや、寧ろあれもエレアサルの未来のシーンと解釈していいのか?因みに、このラグビーシーンの言語は英語だった。本編のメキシコでの一家のストーリーはスペイン語かな?そして、強烈すぎる、秘密クラブのような、謎のサウナでの乱交シーンはフランス語だった。この使い分けられた言語にはなにか意図があるのだろうか? っていうか、この寝取らせ乱交シーンも過去の夫婦の体験ということでいいのだろうか? 余りにも唐突で強烈な描写に唖然としたが、〝事実は小説よりも奇なり〟とでも軽く言い放たれたようでもある。このシーンはモザイクもなくて、男女みんな、ヘアもちんちんもモロ出しだった(映像倫理上の問題は分かるが、男性みんな平常時を維持してるのがシュールだった笑)。ちょっと凄いシーンだった。

カメラのレンズにフィルターみたいなものを仕込んでいて、中心の円形部分だけ通常にして、それ以外の部分は被写体が幾重かにダブるような仕掛けが施されている。全てがその様な映像ではないので、何かしら意図してそのような表現をしているとは思うんだけど、その規則性も掴めないし、その意図も釈然としない。そして視覚的にノイズが生じているようで、心地よさというものも感じない(森とかでは効果的で綺麗だったけど)。何を意図してのものか、或いは奇を衒った実験心だったのかは分からないが、とにかく不思議な映像体験ではあった。

劇伴も一切ない。場面ごとの自然音のみ。雷鳴、雨音、虫の鳴く音、子供ふたりがキャッキャと遊ぶ声、会話や動作音。パーティーか何かのシーンで、メキシコ人男性がギターの弾き語りをしていたのと、妻ナタリアがピアノでニールヤングの曲を弾き語ったのが、この映画のたった二つの音楽だった。

頻繁に降りつける雷雨に、水分を多く含んだ湿地に、コンクリートの水溜り。映像にも、音響にも、水が象徴的に使われていたような気がする。鑑賞後に監督の来歴をWikiで読んでみたら、原体験としてタルコフスキー映画の影響があるそうで、色々となるほどという面も。

家に入ってくるあの赤い牛頭の悪魔を、仮にミノタウルス(ギリシャ神話の牛頭の怪物)の神話と関連づけて本作ストーリーを読むと、割と面白い解釈が広がるような気がする。ミノタウルスは、男をなぶり殺し、女を陵辱し快楽の限りを貪る怪物だという伝えもあるようだ。

映像と構成の難解さに隠れた本作のコアとなる部分は、俗世的な人間の悲哀と慈悲と悔恨と未来への希望(=子供)を描いた割とシンプルな人間ドラマであったのではないかと思い至った。

※また、トルストイ、ドストエフスキー、チェーホフ、ヘーゲル、デュシャンと意味ありげに物語から飛び出す人物名から、より本作の意図を掴むヒントが得られるのかもしれない。それらに精通した人は、より深く作品を理解できるのだろうか…?
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