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KANO 1931海の向こうの甲子園のバナバナのレビュー・感想・評価

KANO 1931海の向こうの甲子園(2014年製作の映画)
3.8
1931年の甲子園大会で準優勝した、台湾の嘉義農林学校野球部の実話。
“KANO”は嘉義農林学校の略称なんですね。

嘉義農林学の校野球部の創設が1928年。
近藤兵太郎監督が監督に就任したのが1929年。
全台湾で優勝し、甲子園で準優勝したのが1931年。
その後、1936年まで4回も甲子園大会に出場したというシンデレラみたいな話ですが、実話だそうです。

当初、甲子園出場に当たって、日本人、中国人、蛮人(蛮人ってなに?と思ったら、どうやら高砂族系の人のことを言ってる様で、しかし、戦前に高校に行かせてもらえていたのだから、裕福な家の子だと思うけど)の混合チームに話題や興味が集まったそうですが、
その清廉な試合ぶりに、決勝では嘉義農林学校を応援する人の方が大多数という人気ぶりだったそうです(やっぱり日本人は経歴が違う人達が力を合わせて…という話が大好きだからね)。
この頃の甲子園大会は、台湾だけでなく、満州、韓国の代表校も出場していたそう(開会式の写真に、プラカードに地域名が書いてあるので分かる)。

全体的には、このカット必要ある?というシーンも多くノンビリと進んでいくので、そのせいもあり長く感じました(特に前半が)。
語り部が、何故、甲子園大会の対戦相手の元ピッチャーの軍人さんになっていたのかがよく分からなかったが、
嘉義農林学校の野球部員の対戦相手までが彼らに魅了されたんだよ、と言いたかったのかな(余計なお世話だと思ったが)。

途中、大沢たかおが出ていて、この人誰?と思ったが、大沢さんが演じていた人物は当時、嘉義で鳥山頭ダムを造っていた八田與一さんという方なんですね。
台湾では、八田さんの治水工事のお陰で、南西部が干ばつ地帯から豊かな穀倉地帯に生まれ変わったという事で、台湾人からかなり尊敬されており、
国民党軍に占拠された後も八田さんの銅像を守り抜き、現在でも教科書に載っているという超有名な方だそうです。
こういう偉人が日本では伝わっていないというのが残念です。
八田氏は野球部には何も関係無かったでしょうが、同時代にこの地に居たという事で、映画にちょいと出てきていたと思われます。

野球部員の若い俳優さん達も、たぶん台湾のアイドルも交じっていたのだろうが、みんな丸坊主で日に良く焼けて真っ黒だったので、登場人物の区別がつかない程だった。
しかしそれ程、俳優たちも事前に野球の練習をやったのでしょうね。
野球の練習シーンや試合シーンが実直な作りでした。
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