Kumonohate

アラビアンナイトのKumonohateのレビュー・感想・評価

アラビアンナイト(1974年製作の映画)
4.5
「デカメロン」「カンタベリー物語」も同様だが、とにかく映像が良い。撮影はイエメン、イラン、ネパールと巡って行われたというが、そのロケーションが美しい。カメラが切りぬく時の流れに取り残されたような建物や風景を見ているだけで、寓話の世界に引きずり込まれてしまう。

一方で、これまた前2作と共通するのだが、そんなロケーションに登場する人物達の表情や行為は、とても奇妙である。彼らは、激しい喜怒哀楽を見せること無く、常に薄ら笑いを浮かべているような、イマイチ心を読みづらい表情をしている。連れ去られた恋人を必死で探しているハズなのに、突然出会った3人の女と入浴し、へらへらとセックスしてしまうような、理解に苦しむ行動をとる。

だが、登場人物達がこうした奇妙な表情や行為をする背景には、キチンとした理由があるハズだ。それは恐らく、彼らには、因果関係だとか論理的整合性だとかによって作り出された、近代的自我(近代西洋が作り出した自我)が備わっておらず、代わりにそれとは全く異なる別種の自我が備わっているからだろうと思う。それがどんな自我なのかは説明は出来ないが、少なくとも、合理性とか論理性とは別のルールによって形作られた自我、かつては我々にも備わっていたのに近代化とともに失われてしまった自我なのだろうと思う。その自我が、彼らを一見奇妙な行動や表情に導くのだろうと思う。もとい、彼らにとっては奇妙でも何でも無く、近代的自我の尺度で測ろうとするから理解不能に見える表情や行動に導くのだろうと思う。

パゾリーニの作品や写真を見ていると、何故かミケランジェロを思い出す。ルネサンスは近代の曙ではあるけれど、一方で、それまでの自我を破壊し新たな自我を創造するにあたり、過去にテキストを求めた運動でもある。三部作を通じて、非西洋近代的ロケーションの元で、非西洋近代的自我を発掘し、それに基づくドラマを描くことで、パゾリーニは、人間とは本来こういうものだったんじゃないの?と問いかけたかったのじゃないだろうか。
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