この映画の話をする前に、本家の話を少しだけさせてほしい。本家とはもちろん、ゴダールの同名作品のことね。
ゴダールの映画『はなればなれに』(1968年)は2001年まで日本公開をされていなかった。
公開されると聞き、若かりししゃび青年はそれはもう心を躍らせた。
まずもって作品のフライヤーがすばらしかった。
そこにはアンナ・カリーナとクロード・ブラッスール、サミー・フレイの、どう考えても上手ではないと推察できるダンスシーンがプリントされていた。このシーンを観るだけでも十二分に価値ある作品だと分かる。フライヤーを見る限りダンスは室内のシーンのようだ。ということは、『気狂いピエロ』の「私の運命線」よりは、『女と男のいる舗道』よりのダンスなのだろうか。ああ早く観たい。
さっそく、フライヤーを部屋に貼ってみる。洋服・ビデオテープ・本で散らかり果てた部屋が、それだけでワンランク上品になった気がする。
観る前からウキウキが止まらなかった。
(ちなみにそのフライヤーは、今でも実家に貼ってある。)
ここは本家のレビューページではないので、内容については触れるのはやめておこう。
言いたかったのは、『はなればなれに』の公開には、それくらいの思い入れがあったということだ。
何でこの話をしたかというと、下手監督も同じ気持ちで2001年の公開を迎えたのではと思ったからだ。その思い入れが昂じて同タイトルの映画を作ったのではないか。そう勝手に想像すると、内容うんぬんに関わらず不思議と愛情が湧いてくる。
内容について、ゴダールと比べすぎるべきではない。間違いなく意識して作っているが、比べる相手が悪すぎる。
こちらの『はなればなれに』は音を使った遊びが際立っていた。詳細は以下のネタバレに記載するが、音遊びのアイデアだけとっても一見の価値ありだと思わせるものがある。
ただ、全体を通して意図がはまってない感じで、常に空振りしているような印象を抱いた。風景・登場人物・動きの組み合わせが、悪い意味でのミスマッチになってしまっているように思った(天才的ミスマッチ職人のゴダールを意識しすぎると陥りがちな罠のように思う)
モノクロで観ると印象が変わるような気もする。
カラーで観ると服装のセンスのなさが、味ではなくダサいだけになってしまうのも気になった。
とはいえ、こういう目的意識の薄い映画は好きなので、気持ちよく最後まで観させてもらった。
【ネタバレ】
路上演奏のバンドが少しづつ音楽を完成させていくシーン。wiiでテニスゲームをやっているシーンからの一幕。女子高生を含めた4人が1人づつリズムに合わせて踊るシーン。
これらのアイデアは最高に楽しかった。特にバンドのシーンは大好きだ。最後のオチまでがきちっとついていて、リュミエールの『水を撒かれた水撒夫』の現代版のような雰囲気を感じた。お金を入れると音楽が足されていくという仕掛けもいい。
逆に一つとても残念なシーンがある。
女子高生が自転車で海に突っ込むシーン。
自転車が海に突入するところだけが見切れるようなカメラ構成になっている。見切れさせることで、自転車が海に落ちたことを音だけで表現するという仕掛けだけど、正直ネタとしては大したものじゃない。それなら、自転車という小道具がスピードを緩めず海に突入する動きを映す方が、よほど映画として魅力的だったように思う。