かなり悪いオヤジ

殺人カメラのかなり悪いオヤジのレビュー・感想・評価

殺人カメラ(1952年製作の映画)
3.3
もしも聖人が現代に蘇ったら、という仮定の元に構想されたブラック・コメディだそうな。『神の道化師 フランチェスコ』(50)、そして『ヨーロッパ1951年』(52)も“聖人”を描いたネオ・リアリズモという点では共通している。いろいろなスタイルを模索していたなどと批評家たちは言うけれど、何故この時期にロッセリーニが聖人を主人公にした映画を撮る必要があったのか、問題はそこなのである。

漁業で生計を立てているイタリア南部アマルフィの寂れた村にホテル建設の話が持ち上がり、その下見に訪れたアメリカ人の資本家ファミリー。おりしも聖人アンドレアの祝祭で賑わっていた村に、“アンドレア”を名乗るみすぼらしい老人が突如として現れ、敬虔な信徒の写真屋店主に「この村にはワシが必要だ」と言って、ある力をチェレスティーノに授けるのだが….

この映画には、市長や金貸し、漁業や運送業を営む会社経営者が、(おそらくアメリカ人の影響で)村に突如として転がり込んだ大金目当てに、醜い奪い合いを繰り広げる様子が描かれる。戦後間もないこの時代、ヨーロッパ文化にそれなりの敬意をはらってきたイギリスに代わって、金の力でヨーロッパの文化資産の破壊・略奪を企むアメリカ資本主義に対する、巨匠ロッセリーニの警戒心がそこかしこに伺えるのである。

敗戦国日本の場合は、いとも簡単にアメリカの物資文明を受け入れた自国民に対し抱いた“違和感”を、小津などが映画化するのがせいぜい。しかしロッセリーニ監督による本作の場合は、もっとストレートで分かりやすい。なにせ、金(アメリカ)に魂を売った強欲な人々を次から次へと“殺人カメラ”で処刑していくのですから….

イングリッド・バーグマンがロッセリーニと不倫関係になり、イタリアで押し掛け結婚したのが1950年。本作はロッセリーニにとっても私生活上でのごたごたが冷めやらぬ時期に撮られたのである。勘繰り過ぎなのかもしれないが、これだけ警戒心の強いロッセリーニが当時人気絶頂だった女優の愛を、何の疑いもなく素直に受け入れたとは到底思えないのである。

イタリア映画界で既に確固たる地位を築いていたロッセリーニをハリウッドに近づけたくない勢力のはなった刺客(あるいは赤狩を逃れるための打算)。バーグマンの自分に対する愛をそう疑っていたとしても、なんら不思議ではないのである。要するに、この“聖人”3部作は、バーグマンならびにハリウッドの真意を試すためのテストケースだったのではないだろうか。映画の中でも、「すぐに罰をくだす前にせめて3回は待ちなさい」って言ってましたよね。