Yukiko

消えた画 クメール・ルージュの真実のYukikoのレビュー・感想・評価

4.2
2022年2月16日
『消えた画 クメール・ルージュの真実』 
2013年カンボジア・フランス制作
監督、リティ・パン。

リティ・パン監督が子供の頃に経験したクメール・ルージュに
関するドキュメンタリー映画。
当時のニュースとドキュメンタリー映像と、土人形を使って
描かれる。

主人公の幼い頃は幸せだった。
兄がいて、ギターを奏で、家族や親せきと楽しく音楽を歌って
いたようだ。
父は教師だった。その父が食事を拒否し、亡くなり、
一家は農村へと移動。
そして、親兄弟親戚が亡くなり、主人公だけになる。

学ばなくていい。勉強は必要ない。
百姓だけやっていろ・・・と、クメール・ルージュは極端だ。

全ては、食糧難の為の政策だけど、その食料はどこに行ったの
だろう?
皆が飢餓で、苦しむ。

映画に描かれるのは、民主カンプチアの時代。
極端な共産主義政策による失敗。
暗黒の時代。

どうして、そうなったのかと疑問だったので、その前後の
カンボジアの歴史を振り返ってみた。

カンボジアの共産主義というのも調べてみた。
共産主義の元々の出発点はとても良いと思うのだけど、
それが次第におかしくなっていくのは何故?
行き過ぎた「強制」がいけないのでは?
個人の考え、自由がいいです。

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<カンボジアの歴史>  Wikipediaより抜粋
(参考: リティ・パン監督 → 1964年生まれ。)

カンボジア王国 → 1953年~1970年。
   シハヌークは王位を父に譲り、自らは首相兼外務大臣に
    就任。
   この時代は、爆撃・内戦は激化してなくて、食料は
     豊富。
   避難民も大量には発生していない。

クメール共和国 → 1970~1975年。
   1970年、シハヌークが外遊中にクーデター発生。
   ロン・ノル(軍人)がシハヌークを追放、クメール
   共和国を樹立。
   カンボジア在住のベトナム系住民を迫害・虐殺。
   カンボジア作戦決行、アメリカ軍によるカンボジア
   空爆。
   農民が犠牲。200万人の国内難民発生。
   それにより、反政府活動が激化。

   シハヌークは中国・北京に避難。
   カンプチア民族統一戦線を結成し、ポル・ポトらの共産
   主義勢力「クメール・ルージュ」がシハヌークを助け、
   帰国を果たす。

   アメリカはロン・ノル政権を支援。
   ロン・ノルは軍事独裁体制を宣言。
   が、アメリカがベトナムから完全撤退し、ロン・ノルは
   強力な後ろ盾を失った。

   カンボジアの農村が爆撃で、農業生産は大打撃を受けて
   いた為、深刻な食糧不足。
   都市部はアメリカからの食料援助があるが、農村部は
   飢餓の危機。

民主カンプチア → 1976年~1979年
   ロン・ノルが国外脱出。ハワイに亡命。
   アメリカ大使館閉鎖。タイへ脱出。
   クメール共和国は降伏。
   クメール・ルージュがプノンペンに入城し、
    ・都市部の住民を強制的に農村へ移住させる
     (重病人、妊婦も)→大量の死者がでる。
    ・貨幣制度廃止
    ・都市住民の農村入植、強制労働=極端な原始共産制
     の社会
    ・旧政権関係者、都市の富裕層、知識層、留学生、
     親ベトナム派の虐殺
    ・反乱の疑いのある者は政治犯収容所で虐殺
   マラリアの蔓延で100万人の大量の死者。
   強制移住・重農制作で食料増産を図るが、非科学的・
   非現実的な政策により、食糧危機を一層増大、深刻化
   させた。
   
   この時代、ベトナムはソ連との関係を強化し、
   ポル・ポト政権は中国との関係を深める。
   →ベトナムと民主カンプチアの対立=
             カンボジア・ベトナム戦争

サムリン政権 → 1979~1991年
   元クメール・ルージュ将校のヘン・サムリンが亡命先
   のベトナムから、カンボジアに侵攻、ポル・ポと打倒。
   1979年、ベトナム軍がプノンペンを攻略。
   幽閉されていたシハヌークは北京に逃亡。
   クメール・ルージュはタイ国境付近まで撤退。
   カンプチア人民共和国を樹立。
   →が、世界からの承認を得られなかった。

   中国がベトナムを攻撃するが、完敗、撤収。
   1981年サムリンが新憲法採択。

   1982年、反ベトナム派(ポル・ポト、シハヌーク、
    ソン・サン)は北京で会合。
   →民主カンプチア連合政府を成立。
   サムリン政権と対立。

   1983年、ベトナム軍によるポル・ポト派の拠点を攻撃。
   1984年、ベトナム軍による民主カンプチア連合政権の
       拠点を攻撃。
   1988年、ベトナム首相、ファム・フンの急死。
   軍の撤収、撤退。
   カンボジアの首相フン・センの弱体化、泥沼化。

カンボジア王国 
   カンボジア最高国民評議会(SNC)が結成。
       フン・セン政権と民主カンプチア連合政府を
       合わせた四派
   1992年、国連カンボジア暫定統治機構(UNTAC)が
       平和を維持する
       活動
   1993年、国民議会総選挙。立憲君主制が採択。
       二人首相制。
   同年、新憲法発布。
      シハヌークが国王に再即位→カンボジア王国
      (23年ぶり)
      暫定統治機構(UNTAC)が終了。
   

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<共産主義>  Wikipediaより抜粋
政治や経済分野での思想や理論・社会活動・政治体制のひとつ
で、主要な生産手段を社会化することによって、人間による
人間の搾取を廃止し、社会から貧困をなくすとともに、経済の
推進力を、利潤追求から人間の物質的精神的な生活の発展に
求め、全ての人間の自由で全面的な成長・発達を目的とする
思想・運動・社会体制をいい、主としてマルクス、
エンゲルスによって体系づけられたものを指す。

広義には共同体(コミュニティ)の為の財産共有を意味し、
狭義には特にマルクス主義・ボリシェヴィズム・マルクス・
レーニン主義などを指す。
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