くりふ

消えた画 クメール・ルージュの真実のくりふのレビュー・感想・評価

4.5
【誰しもの箱庭】

これは(当時)昨年のフィルメックスでみたのですが、寝不足うつら鑑賞という勿体ないことをしてしまったため再挑戦してきました。そして稀有で、貴重な映画体験となりました。

70年代のカンボジア、ポル・ポト率いるクメール・ルージュによる大虐殺を独り生き延びたリティ・パニュ監督が、その少年時代の記憶を、独特の手法で映画として再生させたもの。

今も犠牲者がその下で眠るという、地の泥から人形を創り、実在の人物を揃え、当時の場面をジオラマとして再現するんですね。

この手法に至るまでは紆余曲折あったようですが、クメール・ルージュが当時の記録フィルムを殆ど処分し、映像が残っていなかったことが大きいようです。これがタイトルの由来にもなっているんですね。

で、この物言わず、動かない人形たちがとても雄弁なんです。というか、観客が様々な想いを込められる依憑(よりわら)と化していくんですね。

この人形の生い立ちに始まり、儀式的な要素が大きい映画です。作中で監督も語りますが、これは喪の仕事でもあり、100万人以上とも言われる犠牲者への鎮魂歌ともなっているのだと思います。

独裁者から人間性を奪われ、首都プノンペンから荒れ地へと追われ、ただ厳しい作業を科せられまさに、人形と化してゆく人々。「物言わず、動かないこと」自体が雄弁となってゆく過程が、実におそろしいです。

しかし本作は、虐殺事件のドキュメントには止まりません。あくまでリティ少年の記憶の再生なんですね。だから楽しかったこと、あたたかだったことも同時に語られます。近所でいつも映画撮影があり、美人女優のダンスをうっとりと眺めたことなどは、現在につながる原体験と言えそうです。

実は私的な映画で、それ故、記憶を取り戻す足掻きなのか後半、展開が足踏みするようなところもありますし、この「箱庭手法」に逆に囚われてしまったものか、表現が委縮していると感じた部分もありました。

が、真摯に自身と歴史を見つめ続けた成果でしょうか、事件と自分史を描くに留まらず、映画とはなにか? 記憶とはなにか? という大きな問いを発し、それを観客とともに考えてゆく領域にまで至っていると感じました。

…などと、抽象的な感想を並べてみましたが、とにかく詰まるものが多く多岐にわたり、個人的にはまだ、把握・整理ができていません。もう一度、再々挑戦する意義のある作品だ、と思い返しているところです。

そういえば本作のつくりは一見、「箱庭療法」にも似ています。その場合クライアントがリティ監督ということになりますが、むしろ逆かもしれない。当時を再現したはずの箱庭の中に、観客が別のなにかを投影してしまう器の大きさがあると思う。

そんな広がりまで含め、本作はとても深いと思いました。少なくとも、このアイデアで一本の長編映画を成立させてしまった、という点からだけで、一見の価値はありますね。

<2014.7.7記>
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