不在

ジャンヌ・ダルク裁判の不在のレビュー・感想・評価

ジャンヌ・ダルク裁判(1962年製作の映画)
4.6
百年戦争から約600年もの時が経ち、科学が神の不在を暴いた現在においても、我々は彼女の信仰を疑う事が出来ない。
たとえ神などいなくとも、彼女がそれを敬う気持ちに偽りはないからだ。

ドライヤーの『裁かるるジャンヌ』では、ジャンヌ・ダルクを一人の幼い少女として捉え、クローズアップを多用して彼女の内面をさらけ出すようにして撮られた。
しかしブレッソンは尋問と回答、行為と結果のみを映し出す。
ドライヤーの方では神の恩寵を窓から差し込む光で表していたのに対し、本作ではそれが彼女の死を望む者達の覗き穴となっている事からも、ジャンヌに対する距離感の違いが窺える。
しかし復権裁判によってジャンヌの名誉が回復した事を映画の冒頭に挿入する事で、手段こそ違えど同じ事を表現している事は分かる。

『裁かるるジャンヌ』では、彼女が火あぶりにされた後に民衆が暴動を起こすが、本作における民衆はひたすらに冷酷で、二羽の鳩がジャンヌをただ見守っているだけだ。
前者はある種人間による現実的な救いであるが、ブレッソンは神による救済をはっきりと示してみせる。
その後撮られる『たぶん悪魔が』に至るまでに、彼の信仰に一体何があったのだろうか。
不在

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