井出

毛皮のヴィーナスの井出のネタバレレビュー・内容・結末

毛皮のヴィーナス(2013年製作の映画)
4.6

このレビューはネタバレを含みます

ちょーアカデミック。
これは権力構造や人間関係の核心をついた映画だと思う。権力の行使も、人との付き合いも、SMなんだわ。本当に笑
とにかくSMで権力を握っているのは誰なのかってこと。Sなんだろうけど、もしかしたらSのように振る舞わせるように仕向けているのはMで、Sは最初は純粋に否定していても、それでMが喜ぶことで、Sは本当の拒否なのかプレイ的に拒否なのかわからなくなる。Sは何をしてもSとして仕立て上げられ錯覚する。つまり、Mの支配下におかれる。Sは事実上、Mなのだった。しかし、事実上SであるMにはそのつもりがなく、常に支配下におかれていると感じている。だから、自分の支配下からSが独立して権力を行使し出すとき、動揺し、彼は仮のMから本当のMとなることを余儀なくされる。それが自分の求めていたことだと信じていたからである。その動揺が何かに気づいたにせよ、無意識にせよ、自分はSに戻ろうとする。しかし結局権力構造は戻らない。一回権力の客体となったら最後、復権はゆるされなかった。ここで権力構造を固定しているのは、その背景である。彼はもともと、オーディションという見る側の立場、権力の主体であり、神の目を持つ立場であったが、自ら舞台に上がり、個人的な事柄が彼女に知られ、また採用が確定し、脚本について意見する権利が与えられた時点で可視性の権力、見られる客体となり、彼女に支配されていたのである。こう考えると、宗教もSMではなかったか。ともかく彼女は知り、見るという能動性をもつことで、女神となった。もしくは女神に仕立て上げられたと言えるかもしれない。とにかく、権力構造は相互行為によって生まれるということである。
思えば友情も愛情も相互行為であり、それが揺らぎ試されるのはそのつながりを断つか繋げるかを決める権利が一方に与えられているときではなかったか。その点で、SMは人間関係の本質を表しているようだった。
舞台の構図とかを持ち出して説明してくれたり、音楽で設定わかりやすくて、ありがたい。リアルか演技かわからなくしてるのもよかったな。
しかもポランスキーはそれを室内劇でやっちゃうし、娯楽性はんぱない。話だけ追ってもちょー面白いよね。最後のダンスとか、爆笑。
演技もよくて、女優の顔は役どころにあっていた感じだし、マチューアマルリックの息遣いとかすごかった。
井出

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