emily

月光のemilyのネタバレレビュー・内容・結末

月光(2016年製作の映画)
3.2

このレビューはネタバレを含みます

ピアノ教室を営むカオリには教え子のユウという、父親から性的暴力を受けてる少女が居た。ある日カオリの不倫をネタにユウの父親から娘と同じ目に合わせされる。彼女は過去の記憶も呼び覚まし、さらに苦しみのどん底に突き落とされる。痛みを埋めるように寄り添うカオリとユウ。ユウの願いをかなえるため決心をするのだが。

性的暴力と虐待という、非常に闇深い社会的問題を辛口なタッチで中立な立場で描く。言葉による説明はあまりなく、その痛みは叫びや表情、言葉にならない苦しみとしてリアルに、心に痛切に訴えかけてくるものがある。

二人の訴えは冒頭から始まっており、周りに話すことができない、それを恥ずべき事として自分の内に隠しこんでいる。しかし2回目のソレは昔の記憶を呼び覚まし、何度もかき消そうと生きてきた日々が、無意味だったかのように崩れ去り、カオリは妄想に、フラッシュバックに苦しみ、ただ叫ぶ。誰かに話したいけど話したくない。誰かにかかわりたいが、関われない。誰にも知られたくない。被害にあった後の彼女の言動がしっかり詳細に描かれており、瞬きも許されない描写にくぎ付けになる。

被害者側に寄り添った視点で描かれてるように見えて、ユウの父親の生活や人となりもしっかり描写している。写真館を経営しており、見た目には人当たりの良く、笑顔で写真を撮っているのだ。誰から見ても決して性犯罪を犯すような人間に映らない所が、より身近なテーマとして観客に訴えかける。どうしても自分とかけ離れた世界で起こってる事のように思いがちであるが、そう見えない”普通の人”がそういった犯罪に手を染めており、犯した本人もそれに苦しんでるケースも多々あるということを、本作を見てあらためて考えさせられる。

カオリが叫び声をあげ、ナイフを常に持ち、周りを警戒し人間不信に陥っていく過程の中で、ユウは表情一つ変えない。一番愛すべき存在に性的暴力を受ける彼女は、当然誰にも相談できない。別れてしまった母親からもDV、ネグレクトとユウの負った傷は深い。しかし彼女はまだ子供だ。親の愛が必要だ。それでも逃げることもできない。それでも親を愛してしまう、声をあげることで、親に嫌われてしまうかもしれない葛藤のなか、ただ嫌われたくない一心で、それに身を任せてしまっている。

カオリに関しては不倫をしてる背景もあり、若干男にだらしない女性のように描写されており、あたかも被害者本人にも責任はあるのではないか?誘惑したのではないか?と思わせる節がある。結局そういった偏見がさらに被害者の口を閉ざさせる。実際幼いころの話をしても「あの人がそんなことをするはずがない」という言葉で片づけられてしまうのだ。

しかしどこにでもいるような社会的に地位を持ってるような人でも、そういった犯罪に陥ることはあるということ。そうして弱い子供や女性はいつだってその犠牲になってしまう。しかしそれを誰かに声に出せる環境下にないのが現実である。カオリは最後に証拠とともに助けを求める。それは自分にとって辛い決断ではあるが、それにより救われる誰かが居るかもしれない。埋め込まれた偏見を解除するのは難しい。しかしこういった作品を通じて、自分とはかけ離れた世界で起こっていると思ってたことが、身近に感じ考える時間を与えてもらったことに、作品としては意味を見いだせる。

一人の行動は、誰かの未来につながっていくという事。今もどこかで苦しんでいる人がいるということ。何もできないではなく、何かできることがあるはずだと。一筋の光にしがみつきたい、しがみついて欲しいものだ。
emily

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