Kumonohate

上海の女のKumonohateのレビュー・感想・評価

上海の女(1952年製作の映画)
4.4
主演:山口淑子(李香蘭)。日中戦争末期の中国を舞台にしたサスペンス・メロドラマ。

1945年4月、上海。重慶国民政府の特務機関による工作は熾烈を極め、日本の傀儡政権である南京政府にゆさぶりをかけていた。一方、南京政府特工総部67号は日本軍特務機関と協力し、悪化する戦況を打破せんとこれに対抗していた。そんな折、特高の真鍋中尉(三國連太郎)が上海に赴任、重慶政府への対抗任務に身を投じてゆく。そして、重慶・南京両政府による特務工作戦に巻き込まれた美人歌手・莉莉(山口淑子)と知り合った真鍋は、次第に彼女に惹かれてゆく。実は、莉莉は生粋の日本人であり、両親の死後、中国人の養父に育てられていたのだった…。

のっけから迫力が真に迫っている。

冒頭の上海の映像は、おそらく昭和14年に公開された「上海陸戦隊」のフッテージ。陸軍の全面協力の下、第二次上海事変を扱ったこの作品では、実際に上海で撮影されたリアルな市街戦がセミ・ドキュメンタリータッチで描かれており、その迫力とリアリティーがそのまま「上海の女」に移植されている。続く、南京政府要人の他殺体が漢奸(漢民族の裏切り者)の札と共に投げ捨てられるモブ・シーン(冒頭の「上海陸戦隊」のフッテージ以外は全て日本国内で撮影されたと思われる)では、群衆の中に突っ込んでくる自動車〜投げ捨てられる死体〜走り去る自動車〜群がる野次馬〜それを制して現場をロープで囲む警官、という一連のシーンが俯瞰ショットで捉えられている。こちらも凄い緊迫感である。さらに、ナイトクラブで展開する激しい銃撃戦のシーン。閃光・銃撃音・硝煙・倒れる工作員が、短いカットとともに幾重にも重ねられ、これも昭和28年の作品とは思えない迫力である。

さらに、複数言語の使い分けがリアルである。

上海が舞台なのだから、当然、交わされる会話の多くは中国語。日本映画なのに字幕だらけというのも凄いが、中国人に扮した日本人役者(役者はほぼ全員が日本人)の中国語が流暢なこと。現場で山口淑子が指導したとも考えられるが、それだけであそこまで上手には喋れまい。おそらく猛勉強猛特訓したのだろう。古代ギリシャが舞台なのに登場人物が英語で会話するどこかの国の映画とはえらい違いである。そして、そんな中国語の洪水の要所要所に日本語が登場する。日本人同士の会話は当たり前として、日本人と中国人の会話でも、シーンの意味づけによって中国語と日本語が巧みに使い分けられており、それが説得力を生んでいる。さらに、英語も登場する。主人公の2人の日本人が英語で会話するシーンは、周囲に多くの中国人や日本人がいるにも関わらず、あたかもツー・ショットのシーンであるかのような、秘め事をささやきあうかの如き効果を生んでいる。何たる言語センス。戦争からGHQによる統治という好ましからざる時代ではあったが、当時の日本は今以上に多言語に対してセンシティブだったのかもしれない。

そして、本作に迫真性やリアリティを与えている最大の理由が、主人公の莉莉とそれを演じる山口淑子(李香蘭)の人生とのオーバー・ラップである。

本当は日本人であるにも関わらず、中国人の実力者の養女となり、表向きには中国人として暮らし、中国人として芸能活動を行っているという莉莉の設定は、中国人女優・李香蘭として中国で生きた山口淑子こと李香蘭の前半生そのままである。しかも、そんな莉莉が歌うのは、李香蘭時代のヒット曲「夜来香」「何日君再来」。こうなると莉莉はイコール李香蘭以外の何者でも無い。また、莉莉の中国人の親友は抗日運動に身を投じてゆくのだが、李香蘭の親友にも同様の人物が実際にいたのだという。もしかしたら、その実話を作品に取り入れたのかもしれない。さらに、物語のクライマックスで、莉莉は漢奸として捕えられ処刑されようとする。これなどは、終戦時、日本に協力した中国人として裁かれる直前に日本人であることが証明され、かろうじて日本行きの船に乗ることが出来た李香蘭の運命がそのまま映画化されているといっていい。

命からがら日本に脱出してからわずか8年後に、自らの人生をトレースするような役を演じてしまう山口淑子の女優魂というか精神力の強さは只事では無い。演出の巧みさや役者の努力の賜であることはもちろんだが、何より、女優・山口淑子のアイデンティティがそのまま投影されているからこそ、そしておそらくは、自らの体験を取り入れるという形で制作にもタッチしてるからこそ、さらには、図らずも日本軍に協力することになった李香蘭としての活動への後悔がその原動力になっているからこそ、本作には特級のリアリティと迫真性が備わっているのである。
Kumonohate

Kumonohate