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グリーン・インフェルノのkuuのレビュー・感想・評価

グリーン・インフェルノ(2013年製作の映画)
3.7
『グリーン・インフェルノ』
原題 The Green Inferno.
映倫区分 R18+.
製作年 2013年。上映時間 101分。
鬼才イーライ・ロスが、1981年製作のルッジェロ・デオダート監督作『食人族』をモチーフに、アマゾン奥地で食人族に捕らわれた若者たちの壮絶な運命を残酷描写満載で描いたアメリカ・チリ合作ホラー。
出演はロス監督の妻である女優ロレンツァ・イッツォと、アリエル・レビほか。
イーライ・ロス!!!貴様もかぁ~っ
奥さんを演出と称してえげつない役を体当たりさせる変態野郎はっ。
園子温にしても、篠田正浩にしてもどないしようもないなぁ。
少なからず人に影響あたえる作品を生んでなかったら天誅ものやでまったく。

森林伐採の不正を暴くためアマゾンを訪れた環境活動家の学生たち。
(登場人物は、映画の45分近くまでアマゾンの村に到着しないし、違う映画かなとちょい思た)
過激な活動が問題となり強制送還されることになるが、帰りの飛行機にエンジントラブルが起こりジャングルに墜落してしまう。
なんとか生き延びたものの、そこで彼らを待ち受けていたのは人間を食べる習慣を持つ食人族だった。
学生たちは食人族に捕らえられ、次々と餌食になっていく。

入らんでもええのに、森を守るためにと称してアマゾンの奥地に入った活動家たち。
手つかずの森で食人族に出くわし地獄を見る。
イーライ・ロスのひねくれた精神が生み出した、将に変態映画。 
確かに蜘蛛に、ぽ◯珍刺されそうになったら怖いのわかるが、ぽ◯珍映像は要らないよイーライ・ロス。
彼の作品らしく、彼のトレードマークである過剰なゴア描写が今作品も特徴で、ホラーのサブジャンルである拷問系ポルノに分類されることは間違いないかな。
監督は、1980年の『食人族』からインスピレーションを得たと語っとるが、そのことから、今作品の焦点は、飛び散る血みどろ描写であることがわかるし、それは間違いなく実現されてます。
今作品は、いつか見ようって、多少の期待をしていたにもかかわらず、素晴らしい映画を見るという点では、あんまり期待していなかった。
でも期待していた主要なモンは満たしていたかな。
焦点であるゴア表現は、個人的には、そこに理由がある限り、大量の血糊を見せるというアイデアは好き。
例えば、『SAWソウ』シリーズはゴアを中心に構成されてたし、ゾッとするモンであることは理にかなってる。
それは今作品でも同じことで、気の優しい人には今作品のゴア表現はオススメてきないかな。
思わずゾクッとする場面もありました。
ロスは、血と暴力を効果的に見せるために、非常に衝撃的なショットを作成することに成功してると個人的には思います。
今作品ではその生々しい暴力が何よりも際立たせていた。
血みどろで気持ち悪いという以外、血糊について云えることは少ないけど。
ただ、今作品のプロットは弱いと思う。
イーライ・ロスは、彼らを森に連れ込む口実が必要なだけで、そこからは血みどろの演出に任せてる。
また最初の30分位いは本当にスローペースで違う作品見たかなって錯覚起こすほど。
プロットは魅力的ではなかったが、問題なく、30分を過ぎたあたりから映画を妥当なペースで進行させ真夏に丁度よい怖さを味合わせて頂けた。
鯔のつまりは、イーライ・ロスのイカれた精神が生み出した血と血糊と過剰な暴力の集積であり、鋭いカメラワークを駆使して何とかエンターテインメントを維持してる。 
血糊が嫌いな人はこの映画を好きになれないのは自明かな。
血糊こそが今作品の主役であり、最も良いところなのだから。
キャラも見どころやけど、脇役の投げやりさとプロットの面白味のなさが、焦点を絞っていないにもかかわらず、全体として個人的には面白かったです。

今作品を鑑賞して徒然に。
かつては広くカニバリズム(人食い)の文化が実際存在してた(している)。
また、追い詰められたら人間はなんでも食らう。
宗教の儀式として食らう。
合意があれば人肉を食べるのは許されるか、なんて問いは永遠に答えなんて出ない。
マイケル・サンデルってハゲオヤジが質問しとった。
遭難中の食人は罪になるか否かは実際判例があるが、それもあくまでも法律上。
ただ、知的生命体たる人が、自分と同じ種族を食べるというのは気持ちのいい話とは受け取れない。
隣の誰かに喰われるんちゃうかとビビりながらの日々を過ごしたりして子孫繁栄はやりにくい。
ただ、メスのカマキリがオスを食べたり、ネズミが自分の子を食べたり、ゾッとするが、共食いをする動物は、多くいるのはたしかやし、人食文化を持ってる種族だっていないはずがない。
種の保存を第一に考えるんなら、共食いは余り推奨される策とは思えないが、しかし、それをする動物や、人間がいるということは、なにかしらのメリットがあるのもたしかなんやろな。
食人を考えるときには、社会的、倫理的な要素が関係すんのは、当然、文化水準の高い知的生命体ならある。
せや、そうした要素を抜きにして純粋に生物学的な観点でのみ考えるんやったら、人肉を食べることには確かにメリットがあるさかいに食人族は存在したんやろな。
善悪は別にして、カニバリズムは我々の歴史の一部って云っても過言じゃない。
考古学上によれば、旧石器時代の食生活には人肉も含まれとったし、摂取していたプロテイン(たんぱく質)の10パーセントを占めていた社会もあったと云われてる。
くわえて、人肉は他の動物の肉より栄養価で優れている。
人間は同じ大きさの動物と同じカロリーを持ってる。
人を食べることで、でかめのバンビを食べるのと同等同じぐらいのエネルギーを得られる。
比較的知られてるミニョネット号事件。
遭難中、飢餓に苦しみ人肉を食らい、人血をすすり生き延びたケースは近代でもある。
しかし、和牛がリブロースより脂質が多い代わりにタンパク質が少ないって感じに、人肉もタンパク質、脂質、その他の栄養素の点で、他の肉とは異なってんのもたしかで、自分に近しい生物の肉ほどより必要な栄養価が含まれていると云われてる。
人肉は他の人間にとって栄養学的には1番の選択になりえる。
昆虫や蛇カエル、魚まですべての種目の生物で行われた研究やと、同じ種目もしくは近しい種目をエサとする共食いのほうが健康的になったよう。
がっ、しか~し、同じ種目を食べることには大きなデメリットもある。
それは病気。
近しい種目を食べるということは、それだけ自分にかかりやすい病気を運んでくる。
食人族で比較的知られてるフォア族がいる。
パプアニューギニアのフォア族では、人間の脳を食べて死に至る脳疾患を克服し、驚異的な進化論を遂げた者が続出した。
反面、『クールー病』ちゅう、狂牛病ににた病気が広がりを見せてたそうだ。
フォア族の言葉で『震え』クールーの意味するとおり、この病気の症状の1つに震えがある。
歩き方がフラフラになったり、呂律が回らなく言葉が不明瞭になったりと。
さらには感情も不安定になりわけもなく笑ったりするようになる。
症状は日に日に悪くなる一方で、ついには死に至る。
クールー病の感染がピークの時は、毎年数百人が亡くなったみたい。
罹患者は死ぬまで脳に穴を空けスカスカにしていき神経細胞を破壊し続けたりする。
でも、生物のスゴさと恐ろしさ。
クールー病の伝染を生き延びた人も出てくる。
進化。
免疫を持つ特殊な遺伝子変異を起こす。
こうした遺伝子変異は世界中で見られ、それを広めるカニバリズムが過去の歴史で一般的だったことを示してる。
伝染性の高い病気に感染した人に触れたり、ましてや食べたりするならば病気は一層伝染する。
しかし、人間や動物のカニバリズムの実例に比べると、そのせいで病気が伝染していった例は予想以上に少なかった。
云い変えればカニバリズムによって細菌がそれ以上に拡散するのを防ぐため、危険な病気から守ると。
もちろん人肉を食べるということは病原体に自分を晒すことになる。
しかし、それは同時に、コミュニティの他の人たちをその病気から守ることになる。
多くの細菌は調理や消化液の中では生き延びられないため、食べることは細菌を死滅させることになる。
さらに、誰かが亡くなってその遺体が取り除かれることで感染者がコミュニティからいなくなることは、病気を広める人が1人減るということになる。
つまり、カニバリズムは病気の広がりを抑えたり、時には除き去ることになるかもしれへん。 カニバリズムから誘発する病の心配は確かにあるが、他の病気を抑える効果はそのリスクに見合うとも考えれる。
カニバリズムについて、善悪抜きに考えるなら、人肉を食べる行為は健康に対して、少なくとも物理的な意味ではそれほど悪くないようには思える。
まぁ、カニバリズムを勧めているわけやないし、他にも危険が潜んでいる可能だってある。
病気を抑えるとは云っても、現代医学のほうが人肉を食べるよりはるかに効果的とも考える。
さらに健康的な生活を送る方法もたくさんあり、そっちの方が精神的にも物理的にも健康でいられるのは確かやけど、この先、人口増加で食糧難が来たら、代替え食を考えないと、今作品のような食人族が組織化されたとき、作中のような古い文明を継承した種族ではなく、高度な文化と武器を使う食人組織になり、彼らが襲ってくるやも知れない。
そうなったらゾンビよりも厄介になるんじゃないかなぁ。
なんて、空想妄想が付きまとう映画でした。
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