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だれのものでもないチェレのmizunoのレビュー・感想・評価

だれのものでもないチェレ(1976年製作の映画)
4.2
パッケージを見かけるたび、「だれのものでもない」というフレーズが気になっていた。真っ先に頭に浮かんだのは「自由で縛るものがない」という意味合いのもので、この蝋燭の火を見つめるチェレという男の子の腕白物語か何かだと勝手に思っていた。何故そんな風に思っていたんだろうわたし…。
「だれのものでもないチェレ」は「だれのものにもなれないチェレ」だった。そしてチェレは女の子だ…。





独裁下にある1930年代のハンガリー。みなし児たちが家畜や奴隷のように扱われていた時代。冒頭から既に、チェレは天気の良い地獄のような環境での暮らしを強いられている。布一枚まとわない裸ん坊で丸一日を過ごし泥のように働く。差別と侮蔑にまみれた日々。大人たちは殴る蹴るだけではなく、ゾッとするような惨さでチェレを痛め付ける。想像することを一瞬で諦めたくなるよう過酷さだ。あまりのことに涙も引っ込む。こんなの…こんなの…、世界中の誰より幸せな結末が待っていないと採算が合わない。頼むから誰か、チェレを抱きしめてくれ…。
しかし、そんな願い虚しくチェレは哀しみの一途を辿る。どこに行っても誰に会っても、彼女を待ち受けているのは餓えと寒さと蔑む眼差し。唯一優しくしてくれた老人は死にかけていて、チェレの幸福を神さまに祈ることしか出来ない。…書いていて泣きそうだ。本当にどこまでもどこまでも苦しい映画だった。食い縛るように泣くチェレの小さな体は傷だらけ。美しい大自然の中、ひとりぼっちの背中が丸く縮まる。それなのに彼女は思い出したように歌ったりはにかんだりする。愛を知らないなんてのは嘘だ。チェレは愛することをちゃんと知っている。だからこそ途方もなく残酷なんだ。





貧しい時代のせいだと納得できるような悲劇ではない。やりきれなさが、絶望が、腹の底でしこりになる。「マッチ売りの少女」や「フランダースの犬」を差し置いて、パッと頭に浮かんだのは「無垢の祈り」という短編小説だった。虐待された少女が主人公ということ以外は全く別物のストーリーなのだけれど、傷ついたチェレを優しく救い上げてくれるのならばどんな怪物でも構わないと思ってしまった。どうか…誰か…。祈りがいつまでも反芻する。
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