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ナショナル・シアター・ライヴ 2015「フランケンシュタイン」のyのレビュー・感想・評価

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ベネクリをみました

監督の言うように原作未読・予備知識ほぼなしでいったので、すごくて泣いた
もっとわからないかと思ったけど、今思うことはあったし、これからわかることもあるんじゃないかと思った

「最後まで行く」だった
果てまで二人
排他をこころみていないのに広い世界を舞台に二人自閉になっているところとか
それが孤独じゃないところとか

可能性のことを思った
既にあるけど信じられない
この先にあるけど願えない
ないということ、そちらを向かなければなにもできないと思うこと

対話不可な環境
インターセクショナリティ


めっちゃメモ↓



シーン
・エリザベスとヴィクターの会話シーン
エリザベスのものいいがはっきりしている脚本が最高だと思った

・エリザベスとの会話シーン
お名前は? から始まってかなりリスペクトフルで
ここが安住の地になれ 何かうまくいけば 三人で暮らしていけるかもしれないじゃんとかよぎったけど
辛くてちょっと泣いた
いつも本当に画面も床も胃液も歪む

・原罪 ふたつある
最初から罪 最初は無垢

・最初は芝居が気になっていたが(たぶんベネ様が役作りのために誰を観察してどう思ったのかを聞いたからだとは思うけど)
だんだん意味がわかったかな

・中盤はお金のかかった舞台機構について、画面越しだからか私のリテラシーか けっこう具体的にくっきりしていて抽象的な見立てがうまくいかないような気がしたけど
回る盆はずっとかっこよかった

関係性
・ロービジョンのおじいさんとの関係
・エリザベスとの会話

・博士との関係
親(創造主)であり加害者(自分を棄てた者)である 復讐心を燃やす相手であるがルーツを希求するなら避けられず向き合わねばならないところが最初は苦しい
認めてくれないの原体験 分かり合えない存在 ならばなぜ産んだのか、責任を、必然で切実なクライシスにより家が燃え、空舟が着く
博士の側も想像上のアンコントロールを恐れフィメールを切り付け
優位劣位も若干立ち替わり
すこしおいでぃぷす的でもあり
どちらも被害者(あえてそう言う)になり
そしてこれからは(方向性を適当に言うと)友でありうる



どんなふうに見える?solitude おれのように

あなたに愛されたかった
お前が生きがいだ

僕のような子供が産まれたら
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