菩薩

郊遊 ピクニックの菩薩のレビュー・感想・評価

郊遊 ピクニック(2013年製作の映画)
4.5
食うと寝ると出すのバランスを崩すと、人間は結構簡単に壊れるという事をこの監督はきっと知っている。かつて一人で店に立たなければならない仕事に従事した事がある。一人なのだから例え尿意を催しても、便意を催しても、自分のタイミングではそれを排出しに行けないなんて事はしばしば、食うに関してもゆっくり食事を摂るなんて事は出来ず、手に出来る食物も近くのコンビニでそれらしき物を、確実に毎日飽き飽きしながら、そんなストレスに脅かされて行った自らの身体は、簡単にバランス感覚を失い、本来は回復の儀式であるべき睡眠は、ある日を境に完全なる試練へ姿を変えて行った。自分の体内がどんどん黴ていくのが分かる、初めは白く、彼らを守る為の物だったあの壁の様に。黴ていく人間が住み着いた、黴ていく家の集合体である、黴ていく社会で滞った、本来は循環の果てに処理されるべき物(者)達、増えすぎた生物は本来共喰いを始めその数を自然に減少させていくべきなのだろうが、人間が生み出した「倫理」というまやかしはそれにストップをかけ、違う形での共喰いへと人類を導いた。いくら都市を築こうとそれはつまるところ自然の一部に過ぎない、需要と供給のバランスを欠けば余剰が生まれ、それは放棄されていく。ハッピーバースデー、キャベツ、一皮剥いた所で綺麗にはなれない人間、だがその芯の部分が一番の甘みを有する、あの野良犬達の様に仮初めの宿に留まりながら現代社会を漂い、社会に餌付けをされながら、ただ「試食」として消費されていく姿が今日も都市の片隅をさすらう。彼らが発する強烈な臭いを無視し続けて良いものか、この「消費(観たい)」と「生産(作りたい)」のバランスを著しく欠いた名ばかり引退作に込めた願いでありメッセージは、そんな所にある気がする。
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