これは夢落ちだったという解釈でよろしいのか…
そうであるならこのオチに関してはどう考えたらいいのか悩む。
夢落ち自体はすごく興ざめなのではあるが、主人公は落ちぶれた映画スター、夢であったとされる本編ではキョンシーも道士いたのに、オチの部分である現実ではどちらもいない。
ここに、かつてブームとなったキョンシー映画そのものの衰退、喪失感であるとか、懐古的な感覚、夢幻のような感覚を受ける。
夢と現実の対比が、キョンシー映画の過去と現在を表しているかのような、何ともうまく言えないような感覚。
ただ製作する側がそれを意識してたとしたら、なんだかちょっぴりネガティブな感じがして寂しい気持ちもするのですが。
内容は個人的にはアリ。キョンシーとホラーが両方の良いところを活かしつつ調和している。
ただし、キョンシー映画の醍醐味でもあるコメディタッチなノリは無いので、往年のファンとしてはガッカリすることも…
それでも本編で昔の写真がチラッと映るシーンで、ラム先生を見つけた時には興奮しました。嬉しくなっちゃいますね。
それぞれの登場人物が変化していくさまが怖さを引き立てる部分でもあり、それによってホラーとしての見応えが増している。
キョンシー的戦闘シーンはそこまで多くはないですが、中々。
何やら意味は分からんが凄い、の世界好きです。
思っていたよりは楽しめたということで。