井出

海街diaryの井出のネタバレレビュー・内容・結末

海街diary(2015年製作の映画)
4.4

このレビューはネタバレを含みます

鎌倉、いいロケーションだな。片方は山で、片方は海。開放的で、包容力もある、でも気候が変わりやすいといった、そこに住む人の心を象徴している。家もそれに沿っているし、駅から家までの坂道、ときどき海の音を入れて、観客はそこが鎌倉であることを疑いもしない。みんなの経験に基づいたイメージにしっかり合わせている技術がすごい。四季などの気候の変化と、人の心の動きを穏やかに捉え、美しく描いてもいる。
四姉妹、特に長澤まさみや広瀬すずは、女性の瑞々しさを存分に出していた。長澤まさみのこの感じを出されるだけで、男は見た甲斐があったと確信する。桜のトンネルで桃色に照らされる広瀬すずを見れば、この映画はこのシーンのために、彼女のために作ったのではないかと思う。美しすぎる。
彼女たちの瑞々しさを描くために参考にされたのは、宮崎駿であり、細田守であると思う。特に、冒頭で旅館に向かうシーンは、音楽もそうだが、かなりジブリ的。コミカルな動きも、両名に似てて、アニメ的。だから、観客は物語に、すぐに引き込まれる。改めて、彼らの目と腕に驚かされる。
そして会話は、是枝調。自然で、ストーリー性に目が行きがちな脚本に、しっかりリアルな会話の余白を入れいている。しかし、それがストーリーに大きな影響を与えてるんだからすごい。「そうかなあ」とかもそうだけど、「あれ」がやたら使われているのはかなり特徴的。なんとなく、文脈的に分かるけど、それを一口には言えない、言葉にはできないあの感覚を映像では表現できる。そして、その会話こそ、関係の深さを表現するのに最も適していると思う。会話の所の撮り方だったりとか、鎌倉が舞台だったりとか、やっぱり、小津の影響が大きいように思う。それを現代風に踏襲するのはかなり難しいはずだからこそ、監督の才能を強く感じる。
地味に、かなりすごいシーンは、突然の墓参りのあと、長女が梅酒を取りに帰るところ。長女は走るけど、それは撮らない。聞こえるのは足音だけ。撮るのはそれを見守る母役の大竹しのぶ。長女を、心配そうに見て、「そこ、滑りやすいから気をつけて」と言う。それまで本当に血が繋がっているのかを疑うくらい、仲が悪いし、親子だとは思えないが、そのときの彼女は母親にしか見えない。離れ離れで、あれほどケンカしても、娘が30くらいになっても、それでも彼女は母親なのだということに、誰もが気づく。もしくは、自然なことだと受け入れてしまう。このシーンは凄すぎる。見守る仕草も、気をつけてという言葉も、思えば母でなくてはしないことで、それを演じる大竹しのぶと、それに気づき脚本を書いた是枝監督はやっぱり天才だと思う。そしてこれは映像でしか表現できない。改めて偉大さを知る。
是枝映画で考えなきゃいけないのは、葬式と食事の意味だろう。葬式は別れでありながら、過去を振り返って故人に会う、もしくは久しぶりに故人と共通の知人らに会う、再会の場でもある。食事を頬張るのは、心を開いた人の前でしかしない、無防備で信頼の行為として用いられる。だから北野武の映画では、食事のシーンはあまり見られない。これだけ食事のシーンが多いのは、作品の中と作品自体の信頼性を演出し、気を楽にしてこれを見れるようにする効果を作り出しているように感じる。
まあ、とにかくよかった。
井出

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