井出弐等兵

ウェスト・オブ・メンフィス 自由への闘いの井出弐等兵のレビュー・感想・評価

3.5
それでも僕は殺ってない

ある日、アーカンソー州ウェスト・メンフィスの森の中で、3人の3歳児の命が奪われた。
裸で手足は縛られたまま、性器をズタズタにされ川に投げ捨てられるという無残な姿で…

そんな人の所業とは思えない凄惨な殺人事件を前にした人々恐れ慄き、街は恐怖に支配された。
その中で、どこからかふと聞こえた、小さな小さな声が、その街全体を狂わせていく。

「これは悪魔の儀式だ!これはカルト殺人だ!」

理解出来ないほどの恐ろしさから目を逸らすために、人々は偏見と差別によるレッテル張りをする事で心の平穏を求めた。
それは結果として、さらなる悲劇を巻き起こしていくのだった…

暴走する感情と欠落するモラルが、権力を握りだした街で、まるで生け贄の如く、3人のティーンエイジャーが吊るし上げられた。
理由は「メタルを愛する内向的なティーンエイジャーであったから—」
…それだけだ。

この作品は、その生贄となった少年たちが、そこから自由を手にするまでの足跡とこのおぞましい事件の全容を描いていく。
そこには偏見による決め付けの恐ろしさ、
保身に目がくらみ正義を見失った司法の暴走をまざまざと描かれている。

少し内向的でメタルを愛し、若さ故に悪魔ノートを作ってしまった廚二っぽい青年たちは、この狂った正義の犠牲者となる。
結果として彼らの青春は刑務所で過ごすことになってしまった。

この理不尽過ぎる状況に、エディ・ヴェダーらが立ち上がる。
ジョニー・ディップをはじめ、パティ・スミス、ベン・ハーパー、ナタリー・メインズ、ジョセフ・アーサー、ダーニ・ハリスンらそうそうたる面々が彼らを支援し始める。
そんな彼らの運動はやがてアメリカ全土を動かすことなるのだが…

…その結果、
この事件は一旦の終息を迎える事となる。
なんとも理不尽であり、そしてとてもやるせない形で。

それは"Alford Plan"という司法取引。
これにより事件はある一定の結末は迎える事が出来たかも知れないが、作中にてエディ・ヴェダーが言うように「正義は半分しか施行されていない」のである。

この映画の結末はある種のハッピーエンドのように締めくくられる。
確かにメンフィス3の彼らにとっては、とりあえずひとまずは救いのある結末となった。けれども、彼らが不当に奪われてしまった18年間は戻ってこない。

彼らの笑顔を見る度に、その理不尽さとやるせなさで心が苦しくなる。
そしてそれ以上にやるせないのは、真犯人が裁かれる事も疑われる事もなく、何食わぬ顔してウエスト・メンフィスの街を闊歩している事実なのである。

そう、この映画がエンドロールを迎えたとしても、裁判が勝手過ぎる結末を用意したとしても、決してこの事件は終わらない、
そう、終わってはいないのだ…!