RenAlLotus

百円の恋のRenAlLotusのネタバレレビュー・内容・結末

百円の恋(2014年製作の映画)
3.9

このレビューはネタバレを含みます

29歳や30歳って、数字自体が意味を持ってしまって、
「もうすぐ30になってしまう」だったり「ついに30になってしまった」がずっとついて回るから、
なんとなくキャラクターを見る目にノイズが入っちゃう気がする。

という意味で選択したのかな?と最初は思わされる「32」という数字。「なんでもない年齢」、30を前にした20代の焦りもなくなって、色んなものへの情熱を失っている。

ところが!経緯とか新井浩文とかはこの際置いておいて、とにかく一子はボクシングに出会って、ヤケクソともつかない猛練習をはじめるわけだけど、

そこで「32」が突然意味を持つ。ボクシングプロテスト受験資格の上限年齢というその数字が、32歳の一子にふたたび「焦り」を連れてくる。

なぜ一子があそこまでボクシングに打ち込んだのかっていうのは、一口では言えない色んな要素があると思うけど、

終わったはずの「焦り」が突然もう一度はじまってしまったっていうのはすごく大きいことだと思う。


「はじまってしまった」ってとこから次の話にいくんだけど、この映画って基本的には「転換期」を描いてるんだよね。まあだいたいの映画そうかもだけど。

ラストの後、一子とバナナマンが復縁するのか結局別の道を行くのか、一子がボクシングやめるのか続けるのか、「結果」までは描かない。

あーここで終わりかってところで、尾崎世界観が、「これから始まる毎日は 映画になんかならなくても」と歌うわけだ。たしかに、この後の一子の人生は映画にしても退屈なものかもしれない。

「一度くらい勝ってみたい」と泣いても、負け続けるかもしれない。百円の恋も悲しい結末に終わるかもしれない。

でもですよ、「負けたのは戦ってたから」であって、「別れたのは出会えたから」なんすよ、

この映画の主軸はやっぱり、一子の中で何かが始まった瞬間にある。所詮は取ってつけたみたいなものだけど、何かに情熱を燃やした時間、全力を注ぎ込んだ日々、

そういうものが「映画になる」。

「百円の恋」なんて言って、32歳の女を出して、なんでもない、どこにでもある暗い日常か何かみたいに演出していても、

結局、なにかが文字通り「劇的」に始まる時間が、映画として切り取られてる。

逆に言えば、「映画になる瞬間」って、何かが始まりさえすれば生まれるわけで、

この映画の中での一子の変化っていうのは、底辺の状態から急に物凄くボクシング練習したってことだから、

それって誰にでも始められることで、おれはそれになんとなく勇気付けられたし、何かを始めておれの人生の一瞬も映画みたいにしてやろう!って思えるし、

だからすごくいい映画だよってことがとにかく言いたくて、


マジでこの文章終わらせ方わかんなくなっちゃったけど、
書き始めたことに意味があると思いませんか?
RenAlLotus

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