井出

岸辺の旅の井出のネタバレレビュー・内容・結末

岸辺の旅(2015年製作の映画)
4.3

このレビューはネタバレを含みます

これはホラーなのか、そうではないのか。
作り方や死を扱う点では、ホラーに見えなくもないような作りになっている。廃墟のシーンや、無音で暗い場面は、どこか恐怖を煽るような印象を受けた。
しかし当然、これをホラー一般と言う人はいないだろう。それはなぜか。
それは亡くなった人を悪いものとして捉えていないからというのが1つだろう。ここで描かれているのは、生きている者が死者と会うことを望んでいる(奥さんであれ、村人であれ)ということで、見たくないものが見えてしまうことに恐怖するホラー一般とは違っているように思える。
しかし、恐怖することがホラーであるとするならば、見たくても見えなくなってしまうという恐怖を描いている点で、これはホラーだと言えるのかもしれない。小松政夫に無視されたあと、急いで夫が消えていないか確かめにいくところはまさにそういった恐怖である。つまり恐怖とはこのあと起こりうる望ましくない状況を想像してしまうところにある。恐怖はフィクションであり、だからこそ霊や死はホラーにとって絶好のテーマとなりうる。
そう考えると、これまで黒沢清が撮ってきた数々のホラーとこの作品は、何も違っていない。映像やストーリー、セリフ、音楽、光と陰などといった多くの示唆が、1つの緻密なコンテクストを作り出し、このあと起こるかもしれない何かを想像させ、恐怖を煽る。そのコンテクストが緻密であるほど、恐怖は大きい。それは、私たち観客が、奥さんの、一緒におうちに帰ろうよ、という言葉に込めた切実さをひしひしと感じ、そのあと、あの何枚もの祈祷文を燃やすことの、単に別れと出発とだけでは全く表現できないような意味を、私たちは漠然ながら、しかし強く感じることからわかる。
ただ、自分が全ての示唆を理解しきれたとは到底思えないし、意味不明な演出もたくさんあった。現実と想像の境界もわからなかったし、そもそも明確ではないのかもしれないけど。これが恐怖の漠然さを演出するんだろうけど。こういうのって本当に、見る者の感性によるなと思う。とりあえず結婚してからもう一回見るべきだろうな。
井出

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