KARIN

バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のKARINのネタバレレビュー・内容・結末

4.5

このレビューはネタバレを含みます

観るタイミングを逃してかれこれ6年。
今みて本当によかった!って心から思える映画でした。

演劇や映画づくりに関わる人たちにブスッと突き刺さるテーマなのでは。

ちょっと長めのレビューを書きます。

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一般的な解釈ではないかもしれませんが、個人的に、この映画はぞっとするほどのバッド・エンドだと思います。


本物とはなにか?演じることとは?

真実とフィクション。


今作中の「本物」はカーヴァーの物語。エドワード・ノートン演じるマイクが本物のジンで演技をしたり、リアルな演技を追求することが危なくも称賛されている。

反してマイケル・キートン演じるリーガンは「偽物」として笑われ、娯楽=大衆映画で活躍した者が血のり、おもちゃの銃で演技していることが滑稽に描かれる。

この正反対の2人がステージに上がると
私たちが息を呑むほどに、どちらも物語に生きている。

銃が本物なら、芝居は本物なのか?逆にいくら人の心に響く演技をしても、銃がおもちゃだったなら、嘘っぱちなのだろうか。物事はそんなに単純なのか。

そもそも物語ってフィクションだし、虚構でしかないわけで。そのなかにある「真実」っていうのは、べつに本物の血でも死でもセックスでもなく、「人生について」の普遍的な、哲学的な信念なのだと思う。フィクションだからこそ、日常では隠れている真実が強く見えるわけだから、そこに物質的な「本物」はなくてもいい、はず。

だけどそれを履き違えてしまって、表面上のリアル=真の芸術だと考える人々がいる。役者、批評家をはじめ、そんな人たちがリーガンを追い詰めたあげく、盲信的な役者魂に喝采をあびせる。そんな狂ったハッピーエンドが皮肉で怖かった。

本物のお酒で演技したり、ほんとうに殴ったり。そんな表面上のリアルを追求する演技法は「メゾット演技」とよばれており、演劇界では嫌われている印象があります。
たとえばお酒が本物かどうか分かるのは、役者本人だけ。観客に「物語の真実」を届けるのにまったく影響がないので、自己満悦のためだけの方法だと言われるからです。

俳優の仕事は、深くまで突き詰めれば終わりがない、だから危険だ。それを実感させられる作品でした。

長回しの「リアル」な演出によって、本物に取り憑かれた人々の盲信的な生き方が浮き彫りになる。ハリウッドを揶揄してるのかなと思いきや、もしかしたら、妙なリアリズムを手放しに評価する演劇界も、この映画では笑いの対象になっているのかもしれませんね。

エゴとの戦い、プライドと恥を捨てて作品と向き合うことになる展開(あの有名な裸タイムズスクエア歩き) や、理想とのギャップやジェネレーションギャップなど、芸能界だけでない社会的なテーマも扱われています。

注目するところを変えて何度もみると、新しい発見がありそうな気がします。上に書いた意見も変わり、ハッピーエンドだと感じる時がくるのかもしれない。

長々と書きましたが、こんなにも語りたい要素が多すぎる作品は久しぶりでした!観て楽しいってわけではないけれど、目が離せない作品でした。繰り返し観たい名作。
KARIN

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