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バードマン あるいは(無知がもたらす予期せぬ奇跡)のhilockのレビュー・感想・評価

4.0
端的に言えば、本作はまったくもって日本人受けしない、というよりも背景がわかりずらいと言える。人生再生、そして演劇などの裏側という物語であれば、古くは、『喝采』、『サンセット大通り』などがあり、題材としての真新しさはまったくもってない。しかし、主役をマイケル・キートンが演じることで、このリーガンの役はより一層、真実味が加わる。当の本人も『ビートルジュース』での好演からDCコミックの『バットマン』のブルース・ウェインを演じることとなる。製作決定により世間の誹謗、排斥を肌で感じたはずである。(当時はネット文化はなかったが、天下のスーパーヒーロー役である。予想以上の叩きであったに違いない。)公開日まで生きた心地がしなかったとも聞く。これと本作にあたる舞台劇の公演の成功まで行き着く過程は、当時の情景と重なり見ている観客を引き付ける。
この精神破綻の先で聞こえる幻聴、酒に溺れ想像すら越えた風景を垣間見るシーンは、主人公に観客が投影されればこその名シーンとなりうる。また、舞台批評家との怒鳴りは、脚本を越えた当時の鬱憤排出とさえ見える。
実際に『バットマン』では、二作目まで好演している。(劇中のバードマンでは3作目までを演じていたが、4作目は幻ということになっている。)この作品の本数の有無も、世間からすればどうでもいいこと。ブルース・ウェイン=バットマンがマイケル・キートンであるという、観客いや、世間の強烈な印象なのである。
このキートンの好演に花を添える舞台劇の出演者たちも、演劇という魔力にやられた病む人たちである。
まずは、マイク役のエドワート・ノートン。彼は映画デビューして以来、怪演として名前を響かせて演劇界にも進出し、演出家の一面もある。この役は幅を利かせているノートンにピタリである。役者が演出まで兼任するという、映画内の中傷も、当の本人も丸かぶりになっているところが笑える。また、キートンとの取っ組み合いファイトの顔面パンチを見て、『ファイトクラブ』を思い出さない人はいないはず。
マイクと付き合っているレスりー役のナオミ・ワッツは、ハリウッドで夢を実現するために、若い頃から頑張ってきた芽のでない女優。(金髪のイメージが強すぎて最初わからなかった。)
リーガンの恋人も、舞台からこちらに振り向かせようと努力するも彼の情緒不安定さを支えたいが支えられずにいる。
・・・と、成功、名声、愛情の有無でやられている人々ががぶりよる。そこには、華やかな世界へ恋い焦がれる麻薬にも似た感覚があるのである。
以上、作品のなかに潜む『含み』が見ているものにわかる(アメリカ人は皆わかる。)か否かで、この映画の評価は変わる。日本人には受けない!という評価が打倒であろう。
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