このレビューはネタバレを含みます
原作ともに言わずとしれた「名作」
岡田斗司夫氏いわく「ブレードランナー」の下敷きになった作品との考察もある。SFの可能性を広げたとの評もある。
タイトルの「アルジャーノン」とは人間より先に検体となったハツカネズミの名前だ。
原作の小説は元は中編だったものを長編に書き伸ばしたらしい。(著作は中編版と長編版がそれぞれある)映画化もすでに4作を数え、TVドラマや舞台としても何度も取り上げられている。
知能障害(昔でいう“知恵遅れ”)の中年男性シャルル(ジュリアン・ボワスリエ)が、知性が向上する“新薬”の検体となりIQ60から190あたりまで上昇する事で起こる自身の視野や感性、周囲の変化を描く。
結論は“急激に知性が伸びたとしても、感性や心までは同時に向上できない”と悲劇的に結末を迎えて、もとより知能は下がってしまう。
——まず、「名作」と言われるというのは「皆にわかりやすいエピソードである」とも言えて、自分あたりがこの作品を観ると、作者は「悲劇的に描こう」としすぎての不自然さが気になってしまう。
例えばピアノを習得するのは早くても「音楽」を弾けないと指摘されるが、感性は時間の長さで醸成されるものだろうか。現実に幼少時から「音楽」を奏でる天才がいるが、そんな事例は無視してしまったのだろうか。
知性が急に高まっても感性は寄り添うものとは考えられなかったのだろうか。心の問題も同じ。「経験の弛みなき河」を渡らねば人間は成長しないのだろうか。そしてそれは「時間」とは別の話ではないのかとも思う。短い時間でも「濃密な経験」というものもある。
状況設定を「最後は彼に悲劇が襲う」をメッセージの結論に据えてしまった事で、そのモチーフが強引に巻き込まれていると感じるのは私だけだろうか。
作者はある面「人間の可能性」を描いたようでも「知性ばかり伸びても感性や心は伸びないのだ!」と断じてしまうその姿は「人間の可能性」をビタ一文信じていない。
その意味からもしも同様な新薬が開発されても、けっしてこんな話のようにはならないと私は信じる側にまわらざるを得ない。