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エクソダス:神と王のtakのレビュー・感想・評価

エクソダス:神と王(2014年製作の映画)
3.3
旧約聖書「出エジプト記」に出てくるモーゼの十戒のエピソードは、チャールトン・ヘストン主演の「十戒」(1956)を初め幾度も映画化されている。

今回、リドリー・スコット監督がこの題材に挑んだポイントは2点ある。ひとつはストーリーの基軸である、兄弟同様に育ったモーゼとラムセスの悲しい運命の物語。特に弟である故トニー・スコット監督に対する追悼の気持ちを込めて撮られた作品だと聞く。

リドリー・スコットは「エイリアン」「ブレードランナー」という傑作を撮り、その作風で多くのフォロアーに影響を与えた映画監督。一方でトニー・スコット監督というと「トップガン」や「ビバリーヒルズ・コップ2」などハリウッドメジャー作を手掛け、僕ら世代にはヒットメイカーとしての職人監督的イメージがつきまとう。玄人好みな"映画作家"という言い方が似合うのは兄リドリーの方だし、そういう語られ方を世間ではよく耳にする。映画に対する姿勢は異なるものであっても、映画を愛したことは同じ。

エジプト王となるラムセスと王家に養子として迎えられたモーゼの生き方の違いを、この映画は丁寧に描いていく。「十戒」でチャールトン・ヘストンとユル・ブリナーが演じたモーゼとラムセスでは、ラムセスを悪役として描かれた印象がある。だが本作でのラムセスは人間としての弱さや王家の状況を描く場面を積み重ねていき、いかにして冷酷な王として振る舞うに至ったかの描写には説得力がある。もちろん、モーゼがエジプトを追われた後、いかにして民の為に立ち上がるに至ったかの描写もいい。ただクリスチャン・ベイルの容姿なら、もっともっと女子に言い寄られてもよさそうな気もするのだがw。

ポイントの二つめは、血で染まったナイル川やエジプトを襲った寒波、割れる紅海などいわゆる"10の奇跡"を、最新のCG技術と現代的な解釈で映像として再現することだ。テレビの深夜枠で観た「十戒」で強烈に覚えているのは、やはり紅海がふたつに割れる名場面。あれこそ映画のスペクタクル。自宅テレビのブラウン管には収まりきれない迫力に、公開当時に映画館で観ている世代をうらやましく思ったっけ。

本作での"10の奇跡"描写はとにかくリアルで嫌悪感を覚える。街じゅうにあふれる蛙、謎の感染症、大群で襲いかかるイナゴなど、奇跡というよりも"災害"を描くディザスタームービーになっている。そして映画のクライマックスである、ヘブライの民を率いて紅海を渡る場面は、強烈な引き潮で海底が現れる描写。海が割れるのよ~、道ができるのよ~♪と、天童よしみの「珍島物語」のメロディが頭に一瞬浮かんだ(笑)。「十戒」の大スペクタクルを念頭に置くと興ざめしてしまいそうだが、その潮が戻ってくるときに壁のような大波がスクリーンを襲うのだ。その波の元でモーゼとラムセスは剣を交える。お互いを守るために、と亡き王に与えられたはずの剣を。

しかしだ。同じ「出エジプト記」の映画化でありながら、高校時代にテレビで見た往年の「十戒」と違って、本作が"名作映画"と呼ぶにふさわしいクオリティを感じるかと言われたら、それは何かが違う。モーゼに啓示を与える"神"を目に見える存在にしている描写のせいなのか。その神が、ヘブライの民の為に行動せよと言うだけでなく、エジプトに対する敵意を煽るような物言いに聞こえるからなのか。でも実は、"戦うモーゼ"というのが多くの人が期待したイメージとは違うということなのかもな。

それにしても、出エジプトって紀元前13世紀頃。エジプトは新王国時代だよね。都はメンフィスじゃなくてテーベだと思うのだが。この映画最大の疑問。
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