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陽のあたる教室のaikoのレビュー・感想・評価

陽のあたる教室(1995年製作の映画)
3.6
手話は音楽から音響情報を除いた純粋な記号の表現と見た。そのコントラストが美声の少女というのも明確。記号は歌えず、声は翻弄する。彼らは音楽の記号性と音響性に重ねられている。

この物語と並行して語られる20世紀ー音楽史はその肥大と解体の歴史である。最終章で流れたラップミュージックは、どこかしら手話で歌われたジョン・レノンに似ている。現在、音楽はおそらくは彼の理想よりもそして彼自身もまた限りなく遠くに来てしまった。あれは教えられるものじゃない。

しかし、そもそも「音楽教師になど、特になるつもりもなかった」からこそ、彼は良き教師足り得ることができたのではなかったか。始めから何かの教師になるために学び始める者などいないだろう。コルトレーンを聞いたとき、最初は嫌い、理解出来ずだったが、Play it again and again....そして徐々に I just couldn’t stop playing it. それが僕が生涯をかけることなのだと、このとき確信してしまった。音楽とはなにか、この問い(と解答)に、彼自身が囚われ続けていたからこそ、そしてそのときの確信を反復するためにこそ、彼は教師になり得てしまったのだ。
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