平和を祈るヒツジくん

沈黙ーサイレンスーの平和を祈るヒツジくんのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.8
クリスチャンです。勉強中のクリスチャンの身ですが、レビューを書きたいと思います。
本作を見るまでマーティン・スコセッシ監督も遠藤周作先生も知らなかったのですが、これを見てから信仰者としてもクリエイターとしても凄い人達だと感じ入りました。。。
タイトル通りサイレント(BGM無し)で、環境音こそがBGMと化している『沈黙』。BGMが邪魔をせず作品の世界観に没入出来るのが良いです……。

「信仰とは何か?」「殉教は正しいのか?」「果たして自分が信じている神様は正しいのか?」という問題は多くのクリスチャンがぶつかる問題です。歴史背景を見れば日本人がキリシタン弾圧をしだしたのは征服される不安があったから。イエズス会の背後には征服国たるポルトガルがいる。豊臣秀吉や徳川家康がそれを恐れて弾圧をしだしたのは仕方の無いこと。むしろ聖書ではそういった迫害を「神様からの試練」だと教えている。血反吐を吐くような残酷な拷問の前に、僕らは神様に試されている。あっさり転んだ(棄教)神父は一面的にはダメな奴だと言われるかもしれないが、彼の心の内は神様にしか分からないもの。神のみぞ知る。
また「キリスト教も日本と同じような迫害をしているじゃないか」という批判がよくあるが、迫害をするクリスチャンもまたノンクリスチャンと変わらないと聖書で教えている。歴史の中で幾度も神の名の下に残虐な殺戮を繰り返してきたクリスチャンもいる。それはキリスト教全体の罪ではなく彼ら自身の独善的な罪だ。

拷問・処刑描写は心抉られる凄惨な場面で、信徒が拷問で苦しむ姿に耐えられず絶叫する主人公のロドリゴ神父(パードレ)に共感してしまいます。苦しみの果てに、ロドリゴ神父は転ぶのか!?それとも信仰を貫き通せるのか……!?
見てない方は是非最後まで見て欲しいです。

劇中語られる「この地は荒地だ。信仰が根付かない」と神父が日本を批判している。日本は昔から神道と仏教が根付いており、そこにキリストの教えが根付かない。新約聖書の使徒17章16~34節にて使徒パウロがアテネを訪れる箇所がある。偶像だらけの街に憤りを感じるパウロだが、ここで頭ごなしにアテネを批判せず「この街の人々は宗教心に厚い方々だと見ている」とアテネの人々を評価している。しかし同時に「知られない神に」というモニュメントを見て人々に本当の神様を信じるように諭す。
アテネは日本の八百万信仰と共通する。何者か知らない神を拝んでいる。自分たちの手で神を作り、それを拝んでいる。聖書の神様は人の手で作られていない。ましてや人の作り話でもない。今も生きておられる神様だ。
『沈黙』のロドリゴ神父も「神は生きておられる」と思い宣教に望んでいた。その先で挫折したとしても、彼の働きを神様はしっかり見ていて下さった。

この映画から本当の神様に出会える人が出てくる事を心からお祈りしています。長くなってしまいましたが『沈黙』はキリストを知らない人にこそ見てもらいたい作品です!