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沈黙ーサイレンスーのFsukeのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
4.5
踏んでしまったっていい。
神は沈黙しているが、全てを見ている。
人の心の奥底は捻じ曲げられない。
きっと彼らの魂は救われたんだろう。

そう思っても、じゃあキチジローの様にポンポン踏めるかと言えば、まぁ踏めないよね。
苦しんで苦しんで、やっとこの司祭達の様に踏むわけで。
そもそもキチジローも苦しみ続けているし。
信仰故の苦しみ。
そして信仰故に、その苦しみの中に意味を見出したい。
意味を見出させてくれてしまう。

信仰心のない人間からしたら、宗教ってそもそも物語でしかない。
神がいるかいないかとかとは別にね。
歴史上もっとも影響力があって、大勢の人を殺した物語の一つ。

私達の信じる物語、その解釈。
それの齟齬で迫害があり、争い、苦しむ。
一種の狂気だと思う。

現代では許されない事だが、このキリシタン弾圧は、キリスト教の布教が侵略の始まりにもなっていたから起きたんだろう。
でも別に宗教に限らず、イデオロギーや文化、人種の違いでも同じ事じゃないか。
それどころか人間のアイデンティティに関わるあるゆる事が。
これらも歴史や人生という物語の積み重ねの上にあるものじゃないのか?
人間は物語無しでは、あり得ないんじゃないか。
だとしたら、物語の齟齬から生じる苦しみからは逃れられない。
出来る事は他人の物語に寛容になり、対話を重ねる事だけだな。
そして、それもまた苦しみを伴う。

作品のテーマとは離れてしまったかもしれないし、上手く文章にできないけど、フェレイラや井上との会話を通して、そんな風に思った。


マーティン・スコセッシ、ちょっと前にMCUは映画じゃないみたいに言って盛り上がってたけど、赤字でもこんな映画撮る巨匠の言葉は、気に食わなくても老人のぼやきだとでも思って頭には入れとくべきだなと改めて思った。
スコセッシ程の大物だから論争になったんだろうし、大きく変化している映画界の未来を考えてるからでしょ。
こんな論争も起きなくなるなら、映画はもう娯楽としても飽きられてる事だろうね。
だから意義ある発言だったと思う。
Fsuke

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