喜連川風連

沈黙ーサイレンスーの喜連川風連のレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
3.0
どれだけ苦しもうが、
どれだけ叫ぼうが、
どれだけ祈ろうが、

司祭は自身の信仰のために殉教しようとしますが、日本の信者は、来世での幸福(仏教的来世利益)を祈って死をも恐れずに殉教します。

日本人と司祭とで、そもそもの信仰(キリスト教)への意識が異なり、司祭が導かずとも人々に安穏は訪れ、さらに導かない方が人々はより良く暮らせるという自己矛盾。

さらにセバスチャンが拷問の前に無力さに打ちひしがれる様や恐怖の中で信仰が歪んでいく様に戦慄します。

途中の禅問答は、世界各地の宗教対立で繰り返し語られてきたことに近いのだろうなと思います。

信仰したいのに心では恐怖に向き合うことができないキチジロウ。
彼を私たちは蔑むことができましょうか?

あれが人間の本質なのではないでしょうか?
喜連川風連

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