宗教って、なんの為にあるんだろう?
物心ついた頃から、ずっと心の中にある疑問です。
宗教は人を幸福へと導くためにあるのではないの?
なのに何故、宗教のために迫害される人間を生むの?
殺し合いまでおきるの?
子供の頃に抱いた疑問の答えは、今も見つからない。多分、死ぬまで。
キリスト教の神の概念を理解することは、日本人にはとても難しい。
この映画を観て、改めてそう思った。
お天道さま、今日もありがとう。
お天道さまが見てるから、悪いことはできねぇ......
しっくりきますね。自分には、自然の中にしか神を見出すことはできません。
「沈黙」とは、とても重いタイトルだ。
人間がどれだけ苦しもうが、どれだけ救いを、答えを求めようが、神は決して答えてなどくれない。答えは自分で見つけるしかない。
神は内なる心の中にしか存在しないから。
根っから無信心の自分は、そう思ってます。
あぁ、全然映画の話になってませんよね。
窪塚洋介演じるキチジローが、一番魅力的なキャラクターでした。
イノウエさまを演じた怪優、イッセー尾形の凄さを再認識させられました。
スコセッシが、日本人が見てもおかしいと思うところがない重厚で真面目な時代劇を作り上げたことに感嘆させられました。
(農民から番人から、こんなに英語話せる日本人がごろごろいたはずない!って点は、唯一ひっかかりますが(ーー;).......)
余談ですが、自分にとって一番しっくりくる神の捉え方について語られているセリフを思いだしたので、ちょっと書かせてください。
諸星大二郎作「孔子暗黒伝」の中のセリフです。
「わしも昔は神に祈ったこともあった.....
だがわしの人生はこの通りのものだ....
それでわしはついに神とはそういうものだと思うようになった...
人間などには無関心で.... 善も悪もなく.....
いるのかいないのかもわからず あらゆるものからへだたった孤独な存在だと...(中略)
神になったなら喜びも苦しみも永遠につきるじゃろうに...」
脱線しまくりですいません( 一一)......