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沈黙ーサイレンスーのみのレビュー・感想・評価

沈黙ーサイレンスー(2015年製作の映画)
3.7
2023/12/8追記
原作を読みました。私が映画を見て「キリスト教って…」ともやついていたことが全て明文化されており反省しました。すまねぇ…
映画も私が読み取れていなかっただけなのかも。原作を踏まえて、もっかい見てみよう。


2020年49本目

この映画を見ていて、芥川龍之介の「神神の微笑」はやはり名作だな、と改めて感じた。

キリスト教は本当に慈悲深くて愛に満ちた宗教だし、だからこそ私はキリスト教を好ましく思ってる。
…でも私はやっぱりキリスト教の(正確には、キリスト教を布教しようとする者の)「ああいうところ」が好きになれないな、と終始映画を見て感じてた。
純粋に押しつけてくるんだよなぁ。キリスト教じゃないことを可哀想だとでもいうように、その人のそれまでを否定するように。隣人を愛せという割に、異なる思想を持つものに愛を持って接していない。相手のことなど知る必要もない、という感じ。自分たちは可哀想な人に愛を持って手を差し伸べてあげていると信じ切っているんだろうな。

もちろん、信仰しただけで弾圧され、虐殺されたキリシタンやパードレたちはあまりにも可哀想だし、忘れてはいけない負の歴史だと思う。
棄教を強要するのは許せないよ。敬虔なクリスチャンがキリストを踏みつけるなんて死んでも嫌だろう。信者じゃなくても嫌だわ。

だけどあの時代、外国を恐れて排除することで国を守ろうとしたことに理解はできる。キリスト教のことは戦国時代からずっとゴタゴタしてるからお偉いさんたちはよくご存知だろうし、どちらかというと宗教というよりもっと武力的なものや政治的なものといった、実際の被害を恐れていたような印象。
例えばその外国の軍事力とか、お上の支配力が弱まるとか、市場が奪われるとか。それに発言権のある仏教(腐敗済み)との絡みもあるから排除は必然だっただろうねぇ…
排除の手段はむごかったけど、欧州は優しくしてどうにかなった相手とは思えない。


「この国は沼地なのだ。苗を植えても育たない。根が腐る。」
「彼らは自然の内にしか神を見いだせない。人間を超えるものはないのだ」
フェレイラの言葉に同意する。
が、育たないと思ってるのは当人たちだけで、実際形を変えているのでは?海外に持って行ったら本質変わっちゃった、みたいなのは日本だけの話ではないと思うんだけどな。寿司だってアメリカに行ったらカリフォルニアロールになったじゃないの。
その文化、その土地に適応して変形することの何が悪い?宗教は心の拠り所、世を生き易くするためのもの、だったらそれでいいじゃないか。
どういう捉え方をしようと、その人の心が救われたらそれでいいじゃないか。(これはこの映画のどちらサイドにも言えることだけどね)

…と、思うんだけど、まあ特定の宗教の信者からしたら宇宙人の言葉みたいに聞こえるんだろうな。
あと、自然の内にしか神を見いだせないのは災害の多い国だから当然でしょう。その国の歴史や内情を知らずに布教しようとするからそうなる。

フェレイラが言っていた「もしキリストならどうする?」と考えることはキリスト教にとってタブーなのか?ってくらい教えと乖離してる気がするけど、実際そうなのかも。あなたならどうするかと考えるのは仏に成ることを目指す仏教だからこそなのかもね。

もひとつ、印象に残った言葉。
the price for you're glowly is their suffering.

あと、キチジローの「パードレ!」→裏切りの流れ、実家のような安心感。
み