レインウォッチャー

皆さま、ごきげんようのレインウォッチャーのレビュー・感想・評価

皆さま、ごきげんよう(2015年製作の映画)
3.0
映画は、仏革命政府によって貴族が公開処刑される場面から始まる。と思えばタイトルを挟み、次は近代の戦争で略奪される村へ。そして、現代のパリへ。
この血なまぐさい風景のタイムスキップを、すました顔の室内楽の響きに乗って、さながらザッピングのようにまったく軽やかにこなしてしまう。端々に配された黒いユーモアにひとつまみ含まれる、乾いた恐怖の味。得体の知れない予感と引き笑いと、しかし辛うじて「愛」としか呼べそうない何かと共に、映画は進行していく。

徒然なるままに…現代に移ってからも、そんな言葉が似合うような群像劇コメディとでも言おうか、二人の老紳士バディ(※1)が一応の中心には置かれてはいつつも、放射状に広がっていく人の繋がりの線を環状に滑るように、断片的な風景が綴られる。
本というよりは、区切りのない絵巻物を手繰っていくようなイメージ。エピソード未満のエピソードたち。

説明らしい説明もなく、常に被写体とはある程度の距離を保ったまま、カメラは人々の営みを捉えていく。ある面では親切・実直に見えた人も、別の局面では陰険・不誠実に見えたりする。

ローラーブレード引ったくり団を指揮する男。
住居の古城を追い出されて売春に手を出す女。
途上の壁がふと開かれ、中に広がる桃源郷は携帯電話の着信音で終わりを告げる。
エトセトラ。

そこに善悪のジャッジはなく(行政や警察といった権威に対するスタンスは手厳しいものが窺えるが)、冒頭に描かれた「野蛮な」過去さえもまったく等価値に響き合い、時折顔を出すかすかなファンタジーが、チャーミングな傷跡となって記憶に残る。
これがもし音楽なら、リズムとハーモニーだけが残され、メロディの座は空けられているような…そこはあなたがご自由に、と手渡されているのかもしれない。

この煙に巻かれるような体験を完璧に楽しめた!と言い切るほどの徳はまだ貯められてないけれど、イオセリアーニ氏の世界をひとまわりして再訪したい思いは強い。だって可能性感じたんだ、ススメトゥモロウ。
あるいは当時の彼と同じく80歳になってから観れば、何かが変わる、かも?

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ひとつ告白しておくと、わたしは何よりもまず人(特におじいたち)の見分けに苦労して、前半は大方のカロリーを費やしてしまった。
ひとえにわたしの人物識別能力の低さによるものだが(※2)、時代を跨いで同じ俳優が別人を演じてたりもするので、多少は大目に見てほしいところだ。

あと、少なくとも邦題(原題は『冬の歌』)やジャケ写が期待させる「縁側ほっこり友情ストーリー」ではまったくないことは確かだと思う。

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※1:『リコリスリコイル』の記憶も新しい「横並び尻キック」がこんなところでも見られるとは。

※2:どんな映画でも毎回これが何より難しい…。