まぬままおま

やさしい人のまぬままおまのレビュー・感想・評価

やさしい人(2013年製作の映画)
4.2
ギョーム・ブラック監督作品。

地方で父親と同居している中年男性マクシム。彼は音楽家でもあるが、落ちぶれつつある。父のように恋愛でも生活でも生き生きしているわけではなく「ダメな男」だ。そんな彼を取材しようとする友人の姪のメロディー。彼らは急接近するが、メロディーの背後にはサッカー選手の「恋人」がいて…。

マクシムとメロディーが恋愛関係になるのは、彼と父の過去と彼女のひと時の寂しさを埋めるためであると納得するが、父の愛が3カ月で終わるのと同様3日で終わる。やはりサッカー選手の彼が言うように、彼らの関係はマクシムを「ロリコン」と言える危うさを常に孕んでおり、容易に破綻に向かってしまう。と同時に彼らの関係は、そんな容易い言葉で回収できるわけでもない。

本作では、「インタビュー」が象徴的に描かれている。インタビューとは、聞き手が語り手の話を聞くこととされている。しかしその語りは、聞き手と語り手の関係性を暴いてしまう。そしてよい語りが現れるためには、良好な関係性が求められるのである。はじめはメロディーがマクシムに音楽についてインタビューをしている。その姿はどこかぎこちない。メロディーが上手く聞き出せないから、マクシムも多くのことを語ろうとする。この時、私たちは彼らが初対面で親密な関係を築いていないことを知ってしまう。そしてその語りもありふれたものだと思ってしまうのである。

彼らの関係は親密になり、一転するのだが、すぐに終わってしまう。彼は連絡の取れないメロディーがどこにいて、何をしているのか「捜査」にいく。そして元カレのもとへ戻ったと知った時、マクシムは怒り狂って、彼氏に暴行を働き、メロディーを誘拐してしまう。これは彼の嫉妬とやるせなさー結局女は若い男に向かい、自分は見捨てられるーと解釈可能だが、純粋な好きだという気持ちを踏みにじられたとも考えることができる。

誘拐後、マクシムは小屋でメロディーに「インタビュー」をする。なぜ連絡もせずに離れていって、元カレとよりを戻したのかと。その時、彼女が発した言葉は、確かに彼女の真の語りなのである。裏切ってしまったことは申し訳ないと思いつつ、自分のためによりを戻したと。本心の言葉だ。そんな真の語りが顕わになってしまったのである。その時、マクシムとメロディーは性愛ではなくー強姦には向かわないけれど、結局セックスはするのだがー、絆によって取り結ばれた関係だと理解されるのである。

マクシムは正しく警察に逮捕される。そしてマクシムとメロディーは警察に事件について「インタビュー」される。彼らの語りは銃の所持について違う。マクシムは確かに銃を持っていたのだが、メロディーは彼の刑罰を軽くするため、自らが偽証罪になる危険を冒してでも、銃を持っていなかったと騙るのである。メロディーは「やさしい人」なのである。そしてマクシムとメロディーは真の関係を築いたのである。

やさしいとは常に暴力性を持ってしまう。やさしく他者に働きかけても、裏切られて暴力に転じることも、そして関係性によってはやさしさそれ自体が暴力ともみなされてしまうからだ。マクシムも「やさしい」。けれど小屋の中、炎によって陰影のついた彼の顔をみれば、すぐさま事件のようにやさしさが暴力に転じてしまう可能性を見て取れる。

どうすればいいのだろうか。マクシムは銃を手放した。銃は男性性の象徴だ。そして彼は警察に銃を持っていたことを正直に話す。ならば自らが抱える有害な男性性に正直になりながら、絶えず手放すことが求められるのかもしれない。それが私たちが「やさしい人」になるために必要なことである。