nagaoKAshunPEi

オン・ザ・ハイウェイ その夜、86分のnagaoKAshunPEiのレビュー・感想・評価

4.5
“なぜ「車」でなくてはならなかったか”

2015年上半期が終わろうとしているところに、ド傑作に出会ってしまった。
マッドマックスで荒野を疾走したトム・ハーディが、今から2年前にイギリスの高速道路を奔走していた。

ヨーロッパ最大規模のビル建設事業を任さている現場監督のアイヴァン・ロック(トム・ハーディ)は、浮気相手のベッサン(オリヴィア・コールマン※声のみの出演)の出産に立ち会うべく、家族との約束も、現場監督としての仕事も全てを投げ打って、ロンドンへと車を走らせる…。

まず、この映画の素晴らしかったところは、1人の登場人物(画面内に映る)と車のなかだけという限られたシチュエーションのなか、登場するギミックやガジェット「車」「高速道路」「電話」を、それらの持ち得る機能が最大限に発揮させられているところだと感じました。
人を別の場所へと連れて行く機能として「車」を。
容易には後戻りできないということを示唆している機能として「高速道路」を。
そして、車という限られた空間のなかで外界と唯一繋がれる機能として「電話」を。
全てが、映画を活劇として主人公を導いていく諸要素として機能している。

また今作で、主人公の移動手段として使われるものが「列車」ではなく、「車」でなかったのか。
元来、映画と列車は切っては離せないほど相性の良いもので、ましてや今作のように、登場人物を活劇的にも物理的にも、別世界へと誘う役割としては列車のもつそれがあまりにも大きい。
しかし、今回主人公を心身ともに別世界へと誘うために使われたのは「車」。
僕が考える、今作で「車」が使われなくてはならない理由は、主人公の「意思」が「車」には反映されるからだ。
「列車」は一度乗ったら自分の「意思」ではなかなか戻れない。
しかし「車」の場合、進む方向やスピードは全て運転手の「意思」に委ねられている。好きなときに思ったように、進路を変えられるからだ。
今作の主人公アイヴァンは、仕事に家庭にそして浮気相手の出産にと、3つの方向から揺さぶられる。それこそ自らの意思で、いくらでも方向は変えることができるのだ。

彼がいったいどの道を行くのか、どういう行動に出るのか。トム・ハーディの名演も相まって、あっという間に駆け抜ける86分だった。傑作。
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