Kei

第三世代のKeiのレビュー・感想・評価

第三世代(1979年製作の映画)
4.1
ファスビンダー監督の作品を初鑑賞。
テーマは、「生きることの辛さと虚しさ」だと考える。
作中では、様々な背景を持った複数人の男女がテロを起こすために地下組織に所属し活動している様子が描かれる。
彼ら彼女らの合言葉は「意志と表象の世界」だ。
電話口や対面でメンバーと会った際にこの言葉でお互いの結束を確認する。
この言葉はショーペンハウアーの著書「意志と表象としての世界」から取られている。
この著書の中でショーペンハウアーは、人々は限りない欲望から逃れることは出来ず、それ故に私たちは苦しみ続けることが定めなのだと論じている。
本作品はこうしたショーペンハウアーの厭世観を忠実に反映させたものとなっている。
例えば、地下組織のメンバーの女が仲間の死を知った際に、その死を悲しむと同時に「彼が生きることを終えられて良かった」という趣旨の発言をしている。
また、彼ら彼女らの活動もこうした厭世観に突き動かされている部分があると言って良いだろう。
地下組織のメンバーの一員で、パートナーを持ちたいけれども持つことが出来ずに一人暮らしをしている女が、最初は拒んでいたが言い寄って来た男に簡単に依存してしまう様子から、パートナーを持つことが出来ない自身の人生に対してやるせなさを抱えていたことが読み取れる。
このことから、この女が一連のテロに関与する動機は生への辛さ、虚しさであると読み取ることが出来る。
これらに加えて、脇役的立場であるイルゼも本作のデカダンスというテーマを表し、またそれを強調する役割を持っていると言うことが出来る。
イルゼは毎日薬物に明け暮れ社会的生活を完全に放棄している。
作中ではイルゼの心情が直接に語られることはないが、上記した二つの内容から読み取れる本作の「厭世」というテーマとイルゼの退廃的な生活が一般に想起させる「厭世」というイメージから推察するにイルゼは厭世観の具象化と捉えることができ、それ故にイルゼの存在は本作のテーマを鑑賞者に強く印象付ける役割を持っていると言うことが出来る。
ここまでが私が本作品から読み取ったテーマに関する内容である。
本作品には上記した内容以外にも、ストーリーを邪魔する形でテレビから常に流れ続ける音、落書きから引用した章ごとのテーマ、などの内容があったが、今回はこれらの点に関する解釈は難しく行うことが出来なかったため次回鑑賞時に再度考察してみようと思う。
演技に関しては、どの俳優も特筆すべき点はなく普通の演技であったと思う。
総じて、扱われた主題が人間にとってある程度普遍的に重要でありそれ故に扱う価値があるため、本テーマを取り上げたという点は評価に値するが、理解が極端に難しい(これは自分の映画を読み解く能力が不足しているという原因もあると思うが)点がいくつかあった点と、俳優の演技が特段上手い訳ではなかった点が評価出来ない点だ。
また本作を鑑賞して、哲学的主題を扱った映画は自分にとって哲学的主題を理解・思考するための入り口になると思った。
書籍から哲学的主題の理解とその思考に入ることは自分としてはハードルが高いため、これからは映画に哲学的主題の理解・思考への入り口の役割を任せようと思った。
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