CIAが証拠を残すなというミッションの様子を「事実に基づく」と銘打った映画で知ることができるのは、健全なのか何なのか
あんまり想像を超えた現実が描かれているわけではない印象
無人兵器で安全に攻撃してたらそりゃ普通なら精神を病みますよねーという感じ
順当に話が進むので意外性はないが、丁寧には描いている
通勤のとき、ベガスのシーン、自宅のシーン、そして攻撃のシーン
それぞれテーマ音楽のように音も切り替わっていくので、いわばクレヨンしんちゃんのような日常ドラマの作りになっている
そこに混ざっている「仕事」がおかしな日常というだけで
普通に受けとるならば、作中で語られる攻撃を正当化するための論理と、それで消耗するパイロットの苦しみ(あるいは画面の向こうの殺される人々)を比べて、「これでいいんですか?」って考えさせられるんだろうと思う
でも正直なところ、この映画は「これでいい」と言い切っているとしか思えない
それよりもこの映画から感じるのは、人を殺すのに必要なのは「葛藤」ではなく「スリル」だということ
彼らは、自分も危険な立場にいる状態なら、人を殺しても心のダメージは少ないんだと思う
だから戦闘機に乗りたがるし、現場の人々に「ベガスはいいよな」なんて言われたくない
ラスト、仲間を騙すように一人でコンテナにこもり、コソコソと勝手にレイプ男を殺害したときの主人公、本編中で唯一楽しそうだったもの
もしこのラストで、女性も巻き添えで死んでいたらこの映画はもっと評価できたと思う
でもそうじゃなくて、おかしな日常の憂さ晴らしに、レイプ男をゲーム感覚で殺すことで物語を着地させた
それはそういう殺し方を肯定していることに他ならないんじゃないだろうか
まあ、それまでは「自国への将来的な脅威を予防的に消す」論理で殺してたものが、建前上は「画面の向こうの女性を救う」論理で殺したという違いもあるんだろうけれども